笑点の出演者

登録日:2016/07/12 Tue 18:45:24
更新日:2024/03/24 Sun 21:19:56
所要時間:約 50 分で読めます






ここでは、「笑点」現在出演中の大喜利メンバーの他、歴代メンバーやその関係者、演芸コーナーの主な出演者などを紹介する。

※なるべく当時の雰囲気を再現するため、旧名の時期に起こったことは旧名表記といたします。
また、本人の強い要望により「6代目圓楽」ではなく「6代目円楽」とします。


【大喜利メンバーとは】


さ、お待ちどう様でした、大喜利のコーナーです。
まずはレギュラーメンバーの奴らのご挨拶からどうぞ。

大喜利コーナーに出演する落語家、及びお笑いタレントのこと。
司会者1人、回答者6人、座布団運び1人の計8名で構成される。
司会者が3問出題し、回答者がお題に対する機知を利かせた答えを返し、座布団運びがその答えの出来に対し座布団の与奪を行う。
基本的には色紋付を着用するが、夏場は全員白い麻の着物やお揃いの浴衣、新春の挨拶を始めとする口上では全員黒紋付を着る。
また、各自いじりネタや答えの傾向にキャラクターが割り振られているのも特徴。

【概史】

元々は前身番組「金曜夜席」からの流れで二つ目から真打に昇進して間もない若手落語家がテレビでの顔見せに登場する場というコンセプトであり、2年くらいで回答者が入れ替わるほどに出入りが激しかった。
初代司会者の立川談志時代は「夜席」からの流れで回答者5人だったが、前田武彦が司会就任後は4人対4人の対抗戦方式(大喜利ナンバーワン)となり、後述する理由からしばらくして現在の6人制に変更。
更に三波伸介が司会に就任した辺りから色紋付が導入、定着するようになり現在に至る。

それまで落語家は、黒紋付を着て高座に上がるものと相場が決まっており、その中でカラーテレビの時代に合わせた色紋付の登場は広く世間に認知された。
各自単に好きな色を選んで着たところ、これが他番組や雑誌記事などで各々のイメージカラーとして定着してしまったそう。
その後もメンバーの入れ替わりと席替えを繰り返し、初回からほぼ通しで出演していたのは桂歌丸と三遊亭小圓遊の2人くらい。
1970年代には両端に座った歌丸VS小圓遊の罵倒合戦などが人気となり、以来「笑点メンバー」はお茶の間の注目を集めた。
この間1980年に小圓遊が、2年後には三波がそれぞれレギュラー出演中に急逝しており、いつしか「笑点に長く出続けるとよろしくない死に方をする」という曰くまでついてしまう。
このこともあって三波の死後、新春スペシャルの司会を務めた愛川欽也を始めとする方々に司会を打診するもすべて断られ、
談志が降板するにあたり「なるだけ噺家から大喜利の司会を出すな」という意向を出していたがそれをやむなく破り、三波時代に回答者の一人であった5代目三遊亭圓楽に司会を打診したことでこの件は解決した。

また、この圓楽就任に合わせて今ではすっかりおなじみとなった「大喜利開始時、テーマ曲に合わせて回答者と司会者が登場する」というスタイルが導入された。
圓楽司会就任後は「メンバー全員で一つの家族を形成している」という圓楽の意向からメンバー入れ替えが抑えられ、1986年1月にほぼメンバー・席順が固定化された。
この時点でかつて圓楽が長く座っていた4枠(左から4番目、右から3番目の席)には歌丸が座っており、以後20年この位置となった後、歌丸司会就任に伴い加入した春風亭昇太も同じ席に10年座り、
後に司会就任していることから
  • 4枠に長く座った者は極楽浄土に近付く司会者になる
  • 出世頭の4枠
と言われることも。その後、一番司会席寄りにいた7代目桂才賀が1988年に卒業し復帰した好楽と交代、
1992年にその好楽が圓楽に叱責されたことをきっかけに引退を考えるまでに落ち込んでしまい、見かねた小遊三が自身と席を入れ替えさせ、以後30年この席順となった。

メンバー入れ替えについては、こん平の病休による長期離脱に伴うたい平の代理出演(後に正式メンバー化)、圓楽勇退・歌丸司会就任に伴う昇太加入、歌丸勇退・昇太司会就任に伴う三平加入と、
個々のメンバーの健康上の理由から来るリタイヤに伴う入れ替わりのみに落ち着いていたが、2021年12月にその三平が「出直してくる」と卒業を宣言。
席替えについては2021年5月に司会である円楽の要望から29年ぶりに一回限りの席替えが行われ、
2022年1月に三平に代わるメンバーとして桂宮治が加入、企画を除いては30年ぶりの席替え(左から小遊三、円楽、たい平、木久扇、好楽、宮治の順)も同時に行われた。
しかし、それと入れ替わりに円楽が入院し長期休演、一度は高座復帰するものの程なくして逝去してしまった。円楽休演→死去の間、総勢31名の落語家が東西問わずピンチヒッターを務め、2023年2月より、その中から春風亭一之輔がメンバーに抜擢されたなど、令和に入り再び大喜利メンバーの入れ替えが活発化しつつある。
また、2023年8月の24時間テレビチャリティー笑点内で、50年以上に亘って出演を続けた木久扇が2024年3月末を以って勇退することを発表した為、2024年度に新メンバーが加入する事が確定している。

【現大喜利メンバー】




【歴代司会者】




【歴代回答者】




【歴代座布団運び】




【若手大喜利の出演者】

※詳細は該当項目を参照。


【主なゲスト】





では、Wiki篭りさんが追記・修正したところでそろそろ本項終了のお時間が来たようです。また来週お目にかかりましょう。どうもありがとうございました。

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最終更新:2024年03月24日 21:19

*1 他、自称キムタク似(笑)、反町隆史似(笑)、ヨン様似(笑)、福山雅治似(笑)etc、最近ではアランドロン。

*2 2005年1月から2019年6月まで落語芸術協会の副会長を務めたため。

*3 メンバー入りする前の2022年に集英社の企画で宮治と対談した際に当人が語った話によると、どうやら後述のキャラクター性が若手の頃から垣間見えていたせいか、当時の番組司会の歌丸からは不貞腐れているように見えてしまったせいでNGが出てしまい、若手大喜利に呼ばれなくなってしまったとの事。

*4 先代会長の歌丸が抜かれる人の立場を思いやり、在任中は抜擢による昇進を認めなかったという事情もある。

*5 元大喜利メンバーの林家こん平の弟子の1人。あんこ自身は林家時蔵の娘でもある。

*6 沖縄が入っていないのは、当時アメリカ領だったため。

*7 例題:「飲酒運転は何故いけないか?」→「轢いた時に充実感がねぇから」

*8 当時林家九蔵名義で出演していた三遊亭好楽は落語家への対抗意識から、舞台上で敢えて豪快なキャラクターとして振舞っていたのではないかと後に考察している。

*9 亡くなった1982年の4月には自身が司会を務めていた「お笑いオンステージ」を終了させている。

*10 この年に1人目の師匠・彦六も亡くしている九蔵(後の好楽)が終始かなり落ち込んだ様子で話して他のメンバーに励まされている様子も見られた。

*11 現在では当然違法だが、当時は疲労回復剤として普通に市販されており、特に芸能人は愛用者が多かったとされる。

*12 ただし死去直前の時期にあたる「リモート大喜利」初期の放送で記念の年ごとに番組を振り返る企画を行った際は、「降板」と説明されていた。

*13 例としては新宿末廣亭での6代目円楽の襲名披露口上の際に同席していた桂歌春を「キム・イルヨン」、小遊三を「モロゾフ・スコロビッチ」と呼んでいた。

*14 この放送回では円楽へのエールをこめて米助以外の大喜利メンバーと山田くんも全員紫色の着物で大喜利を行っている。

*15 司会者に続いてゲストの紹介パートを数秒映した後、歌丸の紹介に移る。

*16 なお、その鶴瓶だがかつては落語よりもタレント活動の方に重きを置いていたこと、さらに新世紀になり無学を建てたりと落語にも本格的に取り組むようになったらなったで「日曜日のそれ」というラジオ番組が笑点の裏時間帯に始まり、以来現在まで20年以上も担当し続けていることなどもあってか、笑点への出演経験はない。しかし、後述の「六人の会」に昇太などと参加している他、好楽を自分の番組にゲストで招いたり、逆に六代目円楽の「博多天神落語まつり」に招かれたりしているため、決してメンバーとの仲が悪い訳では無い。

*17 普通、生放送は予定の内容だけ書くのが通例で、似たような例としてはシンガーソングライターの泉谷しげるが出演する際の「泉谷乱入」がある。

*18 主に2020年から4期連続でプロ野球のオフシーズン(10月〜3月)にナイター中継枠の番組として放送中。シーズン中もナイター中継がない日に特番が組まれる事がある。

*19 鶴光の弟子達の多くは落語芸術協会に所属している。

*20 大喜利メンバーの木久扇の一門(彦六一門)やたい平の一門(根岸の林家一門)など

*21 分裂騒動の最中だったため、落語協会関係者は殆ど弔問に訪れなかった。

*22 とはいえ2010年代になって、圓生の直弟子の1人で落語協会に復帰した三遊亭圓丈と6代目円楽がひょんな事から意気投合し、年1回ペースでの2団体合同の圓生一門の交流が復活しているなど、変化しつつある。

*23 大正生まれは他に弟弟子の柳家金三がいるが、彼は会費を払って芸協に名前を残しているだけで2011年を最後に姿を見せていない。

*24 実際は歌丸の葬儀では弔辞も述べ、現在もバリバリお元気。

*25 新型コロナウイルスが流行している2020年以降は高齢のため大事をとって寄席への出演を控えている。

*26 お座敷や酒席で芸者さんや舞妓さんを補助して踊り等で場を盛り上げる職業。落語にもしばしば登場し、「男芸者」とも呼ばれる事がある。

*27 永久欠番のようなものと思われがちだが、落語界での本来の意味は亭号における最高位の高座名であり、三遊亭、なら圓生が該当する。

*28 同じ1970年に入門した同期の間柄で、前座〜二ツ目時代は同じ落語協会所属だった事もあり晩年まで非常に仲が良かった。

*29 この経緯もあって現在でも小痴楽との仲は大変良好であり、落語会での共演も多い。

*30 70歳の誕生日の翌日だった。