二軍の帝王(プロ野球)

登録日:2016/05/31 (火) 21:59:25
更新日:2024/03/20 Wed 19:16:37
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同年に最多勝、最多奪三振、ノーヒットノーラン達成
(※ファームで)




二軍の帝王とは、主にプロ野球において一部のファンが特定の選手を指す際に用いる蔑称愛称である。


解説

プロ野球チームでは『一軍』と『二軍』に選手は分けられる。最近三軍を作るチームも増えた?知らん

主にプロ野球の公式試合で活躍する選手の集団を一軍。
実力が足りない選手は、イースタン・リーグ/ウエスタン・リーグという一軍とは違い公式記録には残らない試合で、一軍に上がるためにアピールしていく。

さて、そんなプロ野球において『二軍の帝王』とは何者なのか。

二軍では好成績を残しているのに、たまに一軍に上がると期待に反してさっぱり活躍できない。
そして活躍が出来ず、二軍に逆戻りして最終的に一年の大半を二軍で生活する。
そんなシーズンを何年も連続して繰り返し、ファンに対して期待を持たせては裏切りを繰り返す。

そう、二軍の帝王はこのような行為を何回も見せる1.5軍』級の選手たちの事である。

プロ野球は一軍の結果が全て、いくら二軍で成果を出しても一軍で結果を残せなければやがて解雇され、
球界から消えてしまうというファンにも選手自身にも悲しい結果で終わる。

もちろん二軍の帝王では終わらずに、長い雌伏の時を経て一軍で活躍する選手もおり、特に高卒選手だとまずは帝王にならないと活躍できないと主張する人物もいる。
しかし一度完全に帝王と化してからの卒業例というのは多くない。そもそも、最終的に帝王を卒業できる選手が多ければこんな悲しい愛称は生まれていない。
というか、最終的に一軍で活躍できるならその選手を『二軍の帝王』と呼ぶのは間違っているのかもしれない。
最近は帝王になる前にクビになるケースやトレードなどを使った他球団への放出も増えてきており、帝王の数は減少傾向にある。が、むしろより残酷になったと言えるかもしれない

自身が応援している若手選手には二軍の帝王になってほしくないと願うファンは少なくないだろう。

二軍の帝王は何故生まれるのか?

選手自身の問題

帝王が生まれる一番の要因はこれが多いだろう。

よく二軍の帝王の選手が指摘されるのは精神面。
一軍という大舞台で緊張して打てない・守れないorストライクを投げられない という選手が帝王には多いとされる。
言い方は悪いが、いざという時に役に立たない困った方々ということになる。

精神面と関連する形で、学習能力面(ファンが良く言う『野球脳』)も指摘される場合がある。
打者の場合だと、特定の変化球・一定以上の球速を誇る直球・特定ゾーンへのボールをどうしても打てない、あるいは想定していないボールが来た時に対応する技術が低いのに体が反応して振ってしまうといったことが挙げられる。
特定の球種やゾーンだと打てない、不調な時期が続く、といったものは主力選手にもよくあることだが、帝王はいつまで経っても全く対策出来ない。
このように、ある程度明白な弱点に対して全く手も足も出ない選手も帝王になりやすい。

実は一軍に昇格した直後の二軍の帝王は弱点のデータや様子が他球団の一軍に把握されていない(警戒されていない)ことや昇格したばかりで精神面がノリノリなのか、最初の数試合や1~2週間程度の期間では一軍で通じる数字を残すというケースが結構ある。
ところが弱点が把握されると簡単に攻略されてしまい、相手は簡単に処理ができる選手に対して気分が楽になるのに反して二軍の帝王は精神面で焦り始め、気付けばとんでもない成績の急降下を叩き出し、最後は二軍へサヨナラというのも日常茶飯事。

実戦での使い勝手が悪すぎるパターンの帝王も数多い。
打撃力は確かなのだが、それを殺すレベルで守備が悪すぎるという例とか(それに加えて、DHや代打で使うのは渋るレベルの打力とか)。
元プロ野球選手の里崎智也は「一軍レベルの最低限の守備力の無い奴は打っても使わない」とプロ野球論を自身のYouTubeチャンネルで語っており、守備に難がある選手が二軍に留まるのはその論理に従えば必然である。
なお逆の守備力は高いが打撃が悪すぎるというタイプの選手は守れるポジションにもよるが守備固め要員として一軍での出場機会が貰えやすく、良くも悪くも帝王にはなりにくいことが多い。

こんな感じで、二軍の帝王には帝王たる確かな弱点が存在する物なのだ。

チーム事情的な問題

一軍や全体のチーム事情も絡んでくることもある。

例えば、一塁手を務める帝王がいたとしよう。
ただ、その帝王が所属する球団の一軍の一塁には絶賛活躍中の不動のレギュラー選手が存在したとする。
率直に言ってこの場合、一塁しか守れないその選手はレギュラーが故障やよほど長期間絶不調にでもならなければ出番が巡ってくることは早々ない。

上記のケースなら、レギュラーの調子と帝王の実力次第では代打などで出ることもまだあり得る。
しかし、そのポジションも守れる帝王以上か帝王並の有力控え選手も複数居たとする。
この場合、状況が変わるまでもはや出番が回ってくることは無いと言っても良い。

このように、一軍の主力選手の実力・立場・守備ポジションなどのチーム配置の問題で帝王が長期間一軍で試せないという事がある。

また一塁・三塁・左翼には強打の助っ人外国人が入ることが多いため、そこしか守れないという選手は出番が巡ってきにくいことが多い。
特に左投げの野手は基本的に一塁か外野しか守らせてもらえない*1ため、これによって帝王化することが多い。

他にも、優勝争いをしている球団なども帝王が一軍で試されにくいと言われる。
一試合一試合が大切な優勝争いにおいて、帝王を長期間試す暇などはないためである。

また、上述のように選手に問題がなかったとしても使う監督やコーチの方に問題があることもある。
小技や右打ち、あるいは逆に早打ちフルスイングが大好きで無意味にやらせる、二軍のコーチと方針をすりあわせておらず育成・起用が安定しなかったりといったことが挙げられる。
磨いてこなかったことや逆のことをさせられれば当然結果を残せず、首脳陣や自分に不信を抱かせただけで二軍に戻ることとなる。

こんな感じで帝王を続けているうちに、歳も重ねていたらやがて二軍でも通用しなくなる悲劇の可能性も。
結局は一軍の事情を打ち破るだけの力が無いから帝王なんでしょ?』と言われたらそれまでだが。

この様にチーム事情で出場機会に恵まれない選手は他球団とのトレードの駒になることが多く、その後移籍先で普通に活躍して、帝王を卒業するという事は珍しくもない。
(例:中日で帝王化していたが楽天にトレードされた後活躍した鉄平など)
また、イマイチ伸び悩んだ状態でトレードに出され、トレード先での指導がハマって覚醒、帝王卒業という選手も少なからずいる。

何を言っても、最終的に帝王になるのは上述した選手自身の問題が大きいが、こういった場合があることも確かである。

逆の例

二軍では良くない成績なのに、一軍での成績が思ったよりは悪くない』という選手も確認されている。

普通に考えて、二軍で成績が良くないと一軍に上がれる可能性は低い。
しかし選手層や守備ポジションの問題で、二軍で低迷している選手が招集されることもある。
そういった時にこの手の選手が確認されることが時たまある。

このようなパターンの選手は、帝王とは逆に大舞台などでの精神面が強いのかもしれない。
投手の場合は、二軍守備陣と一軍守備陣の守備力の違いなども影響していることもある。打たせて取るタイプの投手は守備力が低い二軍だとボコボコにされるが、鉄壁の一軍だと活躍するなんてことも。

ある程度過去に一軍経験を積んでいる選手にこのパターンが発動することもある。
ベテラン選手などは『一軍では試せない試みをしているから数値的な成績が悪い』ということもあるとされる(打撃フォームを積極的に変える・あまり使わない変化球を多用するなど)。
また、球速の遅い軟投派の投手もこの傾向が強い。
技術で抑えるタイプなため球速そのものは二軍の選手にとっては打ち頃になるためである。
選球眼が優れたタイプの打者も、二軍の未熟な審判に振り回されがち。
他にも、『単純に一軍で絶不調だった主力選手が二軍でも絶不調だった』という事なだけも多い(一軍に一応戻ったら復活した)。
ただし、このような選手は数少ないので注意。

格落ち

一軍のレギュラーだったのに気が付いたら二軍の帝王』というパターンもある。
二軍の帝王と言えば「一軍で活躍したことが無いけど二軍では無双する人」が該当するが、「しばらくは一軍で活躍した経験があるのにある時から一軍で全く成績を残せなくなり、二軍で無双するだけの日々を送る」という少し異なる形の選手も珍しくはない。
下手に実績があるだけいくら一軍で成績を出せなくとも活躍する可能性が想像しやすいため、ある意味では二軍の帝王以上にファンや首脳陣の心を苦しめる。

このパターンの例として挙げやすいのは「一軍への本格的なデビューを果たした年だけ活躍し、2年目以降は苦しむ」というタイプの選手だろう。「確変」とも呼ばれる。
上述したように「昇格後の最初の数試合や1~2週間程度の期間では一軍で通じる数字を残す二軍の帝王」という選手がいるが、要はこれが「1年間続いた」というある種の派生タイプ。
次シーズンになると他球団が本格的にマークをして弱点を徹底的に分析して攻略法の確立、1年だけでも活躍したが故の慢心による練習不足や謎の野球理論の確立による迷走、怪我しがちになって苦しむなどによって落ちぶれることがある。
ところが1年だけでも活躍したこともあって経験値は積んでおり、二軍クラスの野球では無双が出来るようになるが、ここから一軍には上がってこれなくなってしまうと帝王化する(悲惨なパターンだと何故か二軍ですら通用しなくなることもあるが)。

かなりの実績を持つ中堅・ベテラン選手もこの格落ち現象を経験する場合がある。
長年活躍しても大怪我や加齢による身体能力の劣化が起こると実績や経験でカバーをしようとしても一軍では通用しなくなるが、レベルの低い二軍では身体能力の衰えよりも経験値によるカバーが勝ってしまうことで驚異的に良い成績を残せてしまうことが起きうる。
と言ってもこちらは実績による貢献があるため、二軍の帝王と言うよりは単なる加齢の劣化現象や引退前特有の光景として認識されるケースが多い。

二軍の帝王の例

現役選手

説明不要の豪火リリーフ陣。
二軍では無双状態、一軍では(特に僅差でのリード時に)炎上という典型的な帝王。
一軍で常に炎上したり二軍でも怪しくなってきたりすると俺達以下の「僕達」などと呼ばれたりもする。

  • 横須賀四天王(DeNA)
下記の国与四吉佑樹と、平田慎吾、福地元春、小杉陽太で構成されるDeNA版俺達。
毎年一人だけ帝王を卒業しかけるが、だいたい翌年にはすぐ帝王に戻っていた。
その後は小杉、福地が戦力外となり、平田と国吉は帝王を卒業。2021年途中に国吉がロッテに移籍したため残るは平田のみだったが、2022年にはセカンドキャリアで成功した小杉がコーチとして戻ってきている。

  • 鳴尾浜四天王(阪神)
かつて、下記の赤松などを含む4人の選手で構成された帝王の俗称。
現在は全員が一軍で活躍or退団したことにより初代鳴尾浜四天王は崩壊したが、毎年帝王候補が現れるたびに鳴尾浜四天王に仲間入りする。下記の陽川もその一人。

  • 陽川尚将(阪神)
同僚の中谷将大共々右の大砲候補として期待されているが、中谷が打撃開眼する一方で、陽川は二軍で三冠王候補になれるだけの実力がありながらも一軍では低迷気味で、2020年に8本塁打を記録するまで長らく二軍の帝王化していた。
(なお中谷は2017年に20本を放って以降、ある程度の機会こそあるものの活躍できずにいる。)

引退選手(卒業例を含む)

  • 大森剛(巨人→近鉄)
慶応義塾大学の4番として六大学野球で打率5割という異次元の記録を残した打者。
ドラフト入団時には「高校生より下の指名なんて受けない」とまで豪語した。
二軍では本塁打王3度、更には中田翔に更新されるまでイースタンリーグ最多本塁打記録まで持っていたが、一軍では全くと言っていいほど活躍できなかった。1996年の日本シリーズで2本塁打という活躍をしたがそれが唯一と言っていい一軍での功績である。
『二軍の帝王』という言葉の生みの親。
引退後は巨人のスカウトに転身。当時マイナーだった坂本勇人を発掘し、ハズレ1位としての指名を取り付けたことは彼を名スカウトとして一躍有名にした。

  • 吉岡雄二(巨人→近鉄→楽天)
前述の大森同様、二軍の帝王と化していた人物。
素質の高さは誰もが認めるも、FA制度などの金に物を言わせた補強の犠牲者となる形で当時の監督が公私混同で愚息を起用していたこともあり二軍で飼い殺される日々が続いた。
人生の転機となったのは1997年の近鉄へのトレードで、これをチャンスと受け止めた吉岡は同じく近鉄トレードされた大森とは違いチャンスをものにし、中村紀洋、タフィ・ローズなどの強打者がひしめくいてまえ打線の6番打者として君臨し、巨人ではわずか5本だった本塁打数を最終的には131本まで積み上げた。

  • 小野仁(巨人→近鉄)
90年代後半に150キロを出したという大型左腕。
活躍は間違いないと思われ逆指名で巨人に入団し、二軍では最多勝や最多奪三振、ノーヒットノーランまでやってのけるなど見事な活躍を収めている。
しかしやはりというか一軍では今一つな上に長嶋監督から態度を酷評されており、更に元から問題があったのか目先のものに目が眩んだのか、同僚の財布から少しずつ金を盗むという人として間違った方向で育っていってしまう。
トレードに出され戦力外通告を受けたがそれでも窃盗癖が直ることはなく、遂には窃盗の常習犯として起訴されるまでに落ちぶれてしまった。
野球選手として真っ当な努力をしていれば大金を手にできるだけの素質は十分にあったと思われるだけに、精神面の問題で取り返しのつかない失敗をしてしまった最悪の例と言える。

  • コーリー・ポール(西武→韓国プロ野球)
99年、西武の助っ人外国人が軒並み大外れだったため急遽獲得された選手。
59試合で12本塁打とそこそこの活躍を見せるものの、翌年にはトニー・フェルナンデス、01年にはカブレラとマクレーンという当たり外国人選手が次々入団したことで、押し出される形で二軍暮らしを強いられることになる。
結果、00年と01年に2年連続三冠王(二軍)を獲得してしまう。
しかし出場機会に恵まれず退団。韓国プロ野球でそこそこの成績を残して引退した。
出場すればそこそこの活躍はするものの、チーム事情によって二軍の帝王にならざるを得なかった不遇の選手でもある。

  • 藤島誠剛(日本ハム)
二軍では通算108本塁打を記録した大型スラッガー。
しかし、一軍では準レギュラークラスの活躍の年もあるものの、パッとしない年が続き2004年に戦力外を受け引退した。
1999年9月25日の福岡ダイエーホークス戦で9回2アウトの打席で三振を喫し、ホークス26年ぶりの優勝が決まった時の打者としても有名。

  • 金剛弘樹(中日)
“フォークの神様”杉下茂に絶賛されたフォークボールを投げる投手であり、実際二軍で通算282登板、最多セーブ3度という記録を持つ。
だが一軍登板は僅か27試合、防御率8点代という典型的な帝王で、T-岡田にプロ入り初のサヨナラ本塁打を献上したことも。
帝王を卒業出来なかった選手の代表格。

  • 松元ユウイチ(ヤクルト)
本名はユウイチ・ダニエル・マツモトで、ブラジル出身の日系人。
ブラジルでの野球普及のため留学選手としてツギオ(本名ツギオ・レイナルド・サトウ)と共にヤクルトが受け入れたという異色の経歴を持つ。
打撃センスは高いのだが、左投げの野手で外国人枠にも入ってしまう上、ヤクルトは外国人を当てるのが上手い球団であったため出番がなかなか回って来なかった。
そこでツギオと共に2003年に日本国籍を取得(ただしツギオは同年限りで戦力外)、ようやく一軍でもそれなりに出番が貰えるようになった。
一軍の出番は多くたびたび打率3割を記録するなど活躍する年はあるものの、守備難もあり下記の武内も含めて戸田四天王を結成されるほどの二軍の帝王として知られていた。
結局レギュラーに定着出来ぬまま2015年限りで引退することになったが、WBCブラジル代表の主将を務めるなど面倒見の良い性格もあってか引退後はコーチに就任している。

  • 竹原直隆(ロッテ→オリックス→西武)
日本人唯一の左投げ右打ちの野手*2で知られた選手。
上述のように野手は右投げの方が有利であり、打席は左打ちまたは利き腕でボールを押し込める右投げ右打ちor左投げ左打ちが良いとされているが、その真逆を行っている。
アマチュア時代は日本代表に選ばれながら大学4年次に怪我をしたり所属していた社会人野球チームが休部するなど、悲運のスラッガーであった。
しかしプロ入りしてからは一軍では活躍できず、金銭トレードや戦力外を受けながら二軍で両リーグ本塁打王になるなど典型的な帝王であり、卒業できないままに終わった。
「左翼で先発出場したら初回の初球のレフトへの打球を処理しそこね転倒、NPB史上初の初回先頭打者初球ランニングホームランを献上する」というエピソードが示す通り、守備力の低さが定着できなかった原因。

  • 柳田殖生(中日→DeNA)
二軍では毎年首位打者争いをするも一軍では伸び悩む上にアライバという壁もいたため戦力外になり、DeNAに移籍。
DeNAでは主力不足な事もあってか主軸として活躍するが、不振に陥った間に若手に出場機会を取られたため、再び帝王に戻りかけ、その後戦力外通告を受け引退した。現在は球団職員を経てコーチに就任している。
帝王の典型例であるが卒業例としても有名。

  • 山崎武司(中日→途中なんかオリックス→楽天→中日)
プロ入り最初の9年間は一軍では全く活躍できないが二軍では無双という典型的な帝王だったが、捕手から左翼手、そして一塁手にコンバートされ徐々に覚醒。その後首脳陣との対立でオリックス、創設期楽天と球団を転々とするも、楽天でその才能を完全に開花させ本塁打王を獲得するなど数少ないベテラン主軸として活躍し、最後は中日に戻って引退した。
帝王の卒業例、そして遅咲きの選手として非常に有名。

  • 迎祐一郎(オリックス→広島)
二軍では高い長打力を発揮して毎年大活躍し、三冠王を獲得したこともあるが、選球眼の無さや同タイプの選手の多さで一軍定着出来なかった。
ただ現役期間は長かったためか、引退後もコーチ補佐に就任しており、帝王にしては第二の人生が恵まれている。

  • 小田嶋正邦(横浜→巨人)
強打の捕手として期待されるものの一軍で伸び悩み巨人にトレードされ、途中からは長打力を活かすため内野も挑戦していた。
しかし、そこでも帝王状態を脱せず戦力外通告を受け、ブルペン捕手になった。
なお、横浜時代の応援歌は3試合しか使われなかった幻の応援歌として有名だったが、遂に2017年、宮崎敏郎に流用された。

  • 小斉祐輔(ソフトバンク→楽天)
NPB史上初めて支配下に昇格した育成出身野手。大学時代は強打者として知られていた。
二軍では首位打者・最多安打・二年連続の打点王などタイトルに恵まれるが、一軍ではさっぱり活躍できなかった。
流石に見切りを付けられたのか同一リーグのライバル球団である楽天に育成出身選手史上初の金銭トレードとして放出されるが、その楽天でも二軍の帝王を続行したまま引退した。

  • 加冶前竜一(巨人→社会人野球)
一軍でルーキーながら初打席初サヨナラ本塁打を放ち時の人となった強打の外野手。
しかし巨人の外野の層が厚く、破ることができず帝王のまま終わった。

  • 鵜久森淳志(日本ハム→ヤクルト)
高校通算47本塁打のスラッガー。中学時代まで本塁打を打ったことはなかったが高校時代に突如化けた。
このような経緯からか入団後は流し打ちさせられてアベレージヒッターにされ、その後中距離打者にと迷走。
当然一軍では結果が残せなかったがそれでも二軍では打ちまくっていた。
ヤクルトに移籍後はコーチの勧めで長距離砲を目指していたが、遅咲きの華とはなれなかった。

  • 赤松真人(阪神→広島)
二軍で首位打者・盗塁王争いを繰り広げるも赤星憲広の壁が厚く帝王化していた所、FA移籍してきた新井貴浩の人的補償で広島に移籍。
移籍後はスーパーサブとして定着。ホームランボールをフェンスに登ってキャッチした時は一躍日本だけでなく海外でも時の人にもなった。
だが2016年度末に胃がんが発覚。切除には成功し3軍で練習も再開するなどリハビリに励んだが、2019年に現役引退。
帝王の卒業例である以上に人的補償の成功例として挙げられることも多い。

  • 武内晋一(ヤクルト)
戸田四天王の最後の生き残り。左投げ野手。
パンチ力のある打撃と球界一と言われる一塁守備が持ち味で、2007年に二軍では首位打者を獲得するなど活躍し、2008年からは一塁守備固め兼代打要員として一軍で活躍している。
二軍の帝王からの卒業例ではあるのだが、近年は一軍で打てなくなっているため、今後次第では上述の柳田コースになる可能性もある。
そもそも一塁守備固め自体必要なのかというと総合的には微妙だが、紹介した通り下手な選手もいるため場合によっては必要としか言いようがない。
2018年に現役引退。引退までの数年間の成績や年齢などを考えると、かなり生き延びたと言える。

  • 畠山和洋(ヤクルト)
恵まれた体格と二軍での豪打が持ち味で、逆に一軍では嘘のように打てない典型的な帝王だったが、徐々に一軍に定着。
そしてムラと故障癖こそあるものの立派なヤクルトの主軸に。2015年には打点王のタイトルを獲得し、ベストナインにも選出されヤクルトの優勝に大きく貢献した。
しかしその後は故障がちで結果を残せず、2019年に現役引退。

  • 中川大志(楽天→DeNA)
大砲として期待されており、一度は一軍で4番も張ったものの定着できず帝王状態に。
楽天お得意のワクワク補強で獲得する外国人とポジションが被りやすいのみならず、守備がとにかく下手。
2017年限りで戦力外、DeNAへの移籍が決まった。
しかしDHのないセリーグで一・三塁に強打者がいるため再びの帝王化を予想する声も多かった。
移籍直後は一瞬だけ活躍したが、案の定予想通りの帝王ルート続行となり、2019年に戦力外通告を受け現役引退。

  • 西森将司(DeNA)
捕手としては珍しい俊足の持ち主。外野手も一応出来る。
二軍では俊足と長打力を活かし、レギュラー捕手として活躍しているが一軍は既に第3捕手まで固まっている上に外野も埋まっている状態で、たまに代走要員で上がってきてすぐ二軍に落ちる日々が続いており、完全に二軍専用正捕手になってしまった。
一軍では打率が芳しくないこと、外野手としては守備が上手くないのも問題だが、前述のように第3捕手までいるのに支配下登録されている捕手が常に4、5人しかいない(育成捕手や内野手登録なのに捕手をやる選手もいるが)ので二軍を離れられないというチーム事情もある。
2019年に中川共々戦力外通告。

  • 相内誠(西武)
千葉国際高時代には「房総のダルビッシュ」と呼ばれ、少年時代は児童養護施設で暮らしていた苦労人。
入団直前に道路交通法違反で摘発される不祥事を起こし、入団後も未成年喫煙などを起こして素行で騒がれた。暴走のダルビッシュ。
二軍では圧倒的な成績を叩き出し、投手力が慢性的に不足している西武にとっては期待の星になるはずなのだが、一軍では投げる度に炎上。
精神性が非常に弱いらしく、2019年には「自信が出ない。1つ勝てば自信が出るかもしれない。でも、勝てていないからその自信の持ち方がわからない。自信って、どうやってつけるんだろう」とまで言ってしまった。
そうして燻りながら迎えた2020年に後輩を巻き込んで再び暴走してしまい、二人揃ってユニフォームの着用まで禁じられる厳罰を受ける。
そして案の定一軍で勝つことはないまま、同年オフに戦力外通告を受けた。渡辺久信GM曰く「普通に戦力外」。その後すぐに引退を表明し、キックボクサーに転向したがデビュー戦は惨敗した。

  • 桑原健太朗(横浜→オリックス→阪神)
変則フォームの速球派投手という、モノになりにくいとしてドラフト好きが避けたがるタイプの選手。
蓋を開ければやっぱり制球難な上に、フライピッチャーだったためホームランが出やすい横浜スタジアムとの相性が悪かった。
初年度は投手のコマ不足と初物ということで一軍でそれなりに通用してはいたが、2年目からは二軍にいることの方が多くなる。
やがて二軍の帝王になりオリックス、阪神とトレードされる。
しかし指導がハマったのか制球難が改善、勝利の方程式の一角として大活躍。
だが年には勝てず、2021年限りで引退した。

  • フランシスコ・カラバイヨ(オリックス)
ファームではなく独立リーグの帝王。
試合数が一軍の試合の半分ほどしかないBCリーグで三冠王、史上初の30本塁打を放つなど大活躍している。
その活躍を引っさげ2010年にオリックスに入団したが、2年間であまり目立った活躍はできず自由契約にされ、翌年から独立リーグに戻っている。
2015年に再度オリックスに入団、5月まで打率3割を記録したり11本もの本塁打を放つなど活躍したがその後急激に失速しオフに再び自由契約となった。
変化球には非常に強いのだが、プロレベルの速球に全く対応できないのが致命的で克服もできなかったことが原因。
BCリーグで選手兼任コーチとして元巨人のジョン・ボウカーと鎬を削るなどしていたが、2019年に引退。

  • 吉川光夫(日本ハム→巨人→日本ハム→西武)
二軍では無双するも一軍では四球を連発して自滅という典型的な帝王だった。与四川なんて不名誉な呼ばれ方までするように。
が、栗山監督が就任すると一変。監督のアドバイスがハマり最優秀防御率とパ・リーグMVPを獲得。
その後も無援護に悩まされながらも主力として活躍するが、大田の代わりに巨人にトレードされた。巨人では吉川が他に2人いるが、3人揃ってスタメンに並んだこともある。
巨人では全体的にピリッとせず、後に珍しい出戻りトレードで古巣に復帰した。
そして今度は2020年オフに西武にトレードされるが大炎上するなど全く活躍が出来ずに1年で戦力外、独立リーグに行くことになった。

  • 王柏融(日本ハム)
ワン・ポーロンと読む。台湾で4割30本100打点を叩き出し、ついたあだ名は「大王」。この時点で嫌な予感がしなくもない。
輝かしい成績を引っ提げポスティング制度を利用して海外に飛び立とうとしたが、何故か日本ハムしか入札がなくそのまま3年契約を結んで入団。
だがシーズンを迎えると前半は3割打つ時期もあったものの、とにかく長打が出ない。その後肩を負傷すると変化球に対応できなくなり二軍行き。
当然二軍では打ちまくるのだが、一軍ではやはりからっきし。二軍大王となった。
翌年も一軍で1割を叩き出すが二軍では7割近くと、そこらの帝王とは別次元の格の違いを見せつけている。大王は帝王の上の称号だった…!?
これほどまでの凋落を見せていることは母国台湾でも非常に良く知られており、大王自体がスラングと化し他にも様々なスラングが付けられてしまっている。

結局最終年まで一軍成績は見る影もない散々たるものであったが、契約が切れた2022年オフは7000万+出来高でもっと悲惨な成績に、その翌年は一度戦力外通告された後に育成選手として契約している。
基本的に外国人選手はより良い条件が提示されればすぐに出て行くことが多いため、ここまでしてNPBに残留し続けているのは異例といえる。
2023年にはシーズン途中で支配下登録を勝ち取るものの、助っ人に相応しい成績を残せずこの年限りで退団。

卒業した現役選手

  • 大田泰示(巨人→日本ハム→DeNA)
松井秀喜を超える高校通算65本塁打の長打力を誇る大砲だが、一軍の壁は厚くなかなか定着出来ず、遂にトレードされてしまった。
が、移籍先の日本ハムでの打撃指導のおかげかホームランを量産するようになり、一時離脱があったものの何だかんだレギュラーを死守。
たった1年で巨人時代を超える本塁打と安打を記録。課題とされた守備も大幅に向上し、巨人時代を知るファンからは「こんな奴ではなかった」といい意味で驚かれた。

  • 梶谷隆幸(横浜/DeNA→巨人)
甲子園出場経験もある開星高校のショートとして入団し、2軍で盗塁王を獲得する活躍も石川雄洋・藤田一也の壁が大きく帝王化していたが、DeNAに球団名が変わった2012年に中畑監督の方針で重用されだす。
愛人枠という批判もあったが翌年夏に遂に打撃開眼し1軍に定着。翌年以降は内野の守備難を理由に外野手にコンバートされ右翼のレギュラーに定着、1軍でも盗塁王を獲得するなど立派な主軸に成長。
2020年シーズンオフにFAで巨人に移籍。

  • 角中勝也(ロッテ)
変態打ちで有名な独立リーグの星も初期は二軍の帝王で性格も謙虚だった。

  • 堂林翔太(広島)
中京大中京のエースにして通称「プリンス」。
1年目は多少不安を残しつつもフル出場を達成するなど異例とも言える活躍を果たしたが、
以後は成績が低迷し年を重ねるたびに堂林以後に取った選手に出番を取られ出場機会が大幅減少して帝王化。
二軍では安定して素晴らしい成績を残し続けていて度々一軍に戻れているのだが、成績低迷で一軍定着出来ないということを繰り返し、苦戦が続いている。
初めは主力だったのに帝王に格落ちした珍しい例。
しかし2020年に打率.279 14本塁打 58打点 
OPS.787の活躍を見せ、帝王からの脱却を果たした。

  • 国吉佑樹(DeNA→ロッテ)
育成で入団した196センチのロマン枠投手。
最速150キロを投げ込み先発として活躍したが、制球が定まらなくなって以来長らく二軍の帝王となる。
しかし2018年に横浜から出て行ってメジャーを渡り歩いた経歴を持つ大家友和が二軍コーチに就任すると、うだつが上がらなかった投手が次々覚醒。
国吉もカットボールを身に着け最速161キロにまで一気にパワーアップしロングもできるリリーフに。2019は53登板、2020年は42登板とリリーフ陣に定着した。
2021年6月に有吉優樹とのトレードでロッテに移籍し、そちらでも中継ぎ陣の柱になっている。
ちなみに「○吉ゆうき」同士のトレードである。

  • 杉本裕太郎(オリックス)
吉田正尚と大学でクリーンアップを組み、ドラフト10位で同期入団(こちらは社会人出身)したロマン砲。北斗の拳ラオウが好きなので通称ラオウ。
2軍では安定感と長打力を兼ね備えた文句なしの主軸だったが、1軍ではたびたびホームランを放つ鮮烈な活躍を見せるものの確実性がなさすぎるという弱点を抱えていた。2019年度まで7本塁打を放ったにもかかわらず通算安打がたった13本という点からもそれがよくわかる。
だが、2020年度に入団したメジャーリーガー、アダム・ジョーンズのアドバイスを受けたことでようやく開花。同年は中嶋監督代行に指名されて一軍昇格すると2本塁打ながら打率.268と確実性を増した姿を見せる。翌2021年は課題だった吉田の後ろを打つ打者として大学時代以来となるクリーンアップコンビを組み大活躍。打率.301、32本塁打、83打点の成績で本塁打王を獲得しチームの25年ぶりの優勝の立役者になった。

MLBにおける帝王

MLBにもマイナーリーグの3Aでは好成績を残しているのに、たまにメジャーに上がると期待に反してさっぱり活躍できないという3Aの帝王が存在し、あっちではこうした選手を『4A選手』と呼んでいる。

NPBの各球団もこうした選手に注目しており、移動時間が少なくメジャーほどではないがそこそこいい給与が貰えるなど恵まれた環境*3を活かしオファーをかけている。
ホームラン通算数百本(※マイナーリーグで)』というような触れ込みの選手がそれであり、帝王から活躍した例としては一定以上の速球に弱いと言われたバレンティン(ヤクルト)、変化球に弱いと言われたペゲーロ(楽天)などがいる。

妖精

二軍の帝王と近いようで実は中身が違う愛称として『妖精』という単語も存在する。

二軍の本拠地として使われる球場or土地名と組み合わせて「○○の妖精」と呼ばれる事が多い。
二軍の帝王よりもさらに悪い意味合いで使われる印象が強い。

では、『二軍の帝王』と『妖精』は何が違うのか。

二軍の帝王は、二軍では無双しても一軍では今一つ通用しないという意味合いがある。
対して妖精は『二軍でもそんなに良くもない・一軍で出ていないのに長期間プロ野球界に在籍し続ける』選手を指す事が多い。
このように、二軍の帝王と妖精は微妙にニュアンスが異なる。つまり「一軍でも二軍でもほとんど出場しておらず、本当に所属しているのか怪しい=本当に存在しているのか怪しい妖精」ということ。
広島の鈴衛佑規や白濱裕太、阪神の小宮山慎二が具体例として上げられる。


妖精はプロ野球では常に人員不足になりやすい捕手がなりやすいとされており*4、実際に上記の3人は全員捕手である。
とりあえず二軍のイニングを消化してくれる(イニングイーターと呼ばれる)という事で、先発向きの投手もなりやすいのかもしれない。

なお、帝王と妖精のどちらが長くプロ野球選手として在籍できるかという件については、場合によるとしか言いようがない。






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最終更新:2024年03月20日 19:16

*1 両足を開いてゴロを捕球し一塁へ投げる動作を想像、あるいは実際にしてもらいたい。右投げだとノーステップで踏ん張って投げられるが左投げではステップしなければ踏ん張れないのである。同様の理由で捕手も三盗されまくるので不利。

*2 投手の場合はかなり少数派ではあるがいることはいる。

*3 アメリカの広い国土をバスで半日以上移動するなど、マイナーリーグは過酷である。

*4 捕手は怪我人が続出したときに出てくる「急造捕手」という言葉があるほど代用が効きにくい。特に二軍施設が千葉にある日本ハムはバッテリーコーチを兼任捕手としても登録して一軍に帯同させており、基本的には二軍の試合に出ないが有事の際は即座に一軍登録できるようにしている。また、試合に出なくてもブルペン捕手として投手の球を受けて調子を見たりする仕事もある