1995年第36回宝塚記念

登録日:2015/02/25 (水) 00:09:15
更新日:2024/03/20 Wed 11:44:07
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1995年6月4日に京都競馬場で行なわれた第36回宝塚記念はダンツシアトルが勝ったレースである。

出走馬・鞍上

1995年京都1回8日10R 第36回宝塚記念
京都芝右2200m 四歳以上オープン 牡牝 4歳53kg、5歳56kg、6歳57kg、7歳以上56kg(牝馬2kg減)


馬名 騎手
1 1 ダンツシアトル 村本善之
2 ダンシングサーパス 岸滋彦
2 3 エアダブリン 四位洋文
4 トーヨーリファール 松永昌博
3 5 アイルトンシンボリ 藤田伸二
6 サクラチトセオー 小島太
4 7 ハギノリアルキング 南井克巳
8 ナリタタイシン 山田泰誠
5 9 タイキブリザード 岡部幸雄
10 ネーハイシーザー 塩村克己
6 11 インターマイウェイ 松永幹夫
12 トミシノポルンガ 安藤勝己(※)
7 13 ゴーゴーゼット 石橋守
14 チョウカイキャロル 小島貞博
8 15 フジヤマケンザン 河内洋
16 ライスシャワー 的場均
17 インターライナー 横山典弘

(※)人馬共に笠松競馬場から参戦

前走の天皇賞・春で丸2年ぶりの勝利を手にしたライスシャワーがファン投票1位となった。
しかし、激走の反動は大きくそのまま秋まで休養をとることも考えていた。だが、種牡馬になることを考えると中距離のGⅠタイトルが是が非でも必要となることもあり、陣営は出走を決意した。
この年は阪神・淡路大震災で阪神競馬場が被災してしまい、代替として京都競馬場で、そして震災復興記念競走として行なわれるということもあったのもあっただろう。
しかしナリタブライアンは故障で離脱、ヒシアマゾンも出走回避しておりグランプリとしては面子がイマイチになってしまったところが否めない。

1番人気は後に同年の天皇賞・秋を勝利するサクラチトセオー
2番人気はステップレースの京阪杯(この時は中距離レース)を勝ったダンツシアトル
実績では間違いなく1位と思われたライスシャワーは3番人気になっていた。如何せん2200mでは距離が短いということなのだろうか。

そして運命のゲートが開いた。

17頭出遅れなくスタートを切った。トーヨーリファール、タイキブリザード、ダンツシアトルが先行し、ライスシャワー、サクラチトセオーは後方を追走。明らかに行きっぷりのないライスシャワーの様子を察し的場騎手は「今日は勝つどころじゃない、慎重にまわってこようと」考えたという。
向こう正面で徐々にペースが速くなっていきトーヨーリファール先頭のまま勝負どころの第3コーナーへと向かっていった。後方を追走していたライスシャワーも勝負どころを知り、自ら上がっていこうとしたが…。


大歓声が上がった、おっと一頭落馬!一頭落馬!これは何が落馬したんでしょうか!

ライスシャワー落馬!ライスシャワー落馬であります!大波乱!大波乱!

第3コーナーの下りであの、あの天皇賞では先行でわたったライスシャワーが落馬しています!



直線では先行し、内をすくった私の夢のダンツシアトルが抜け出し、タイキブリザードが負けじと食い下がる。道中好位を追走したエアダブリンが追い上げ2頭に差し迫る。
しかし、ダンツシアトルが1位でゴール板を駆け抜けた。タイムは2分10秒2(レコード)。最後まで同馬に食い下がったタイキブリザードは2着、エアダブリンは3着に入線した。単勝1番人気に推されたサクラチトセオーは前が止まらない展開に泣き、7着に敗れた。

また、このレースの実況においてライスシャワーの故障があったにもかかわらず、直線でダンツシアトルが先頭に立った際に【私の夢】という内容の実況を行なったことで競馬ファンから顰蹙を買うことになってしまった。

「…あ~、無残!!16番のライスシャワー骨折!!」

勝者が輝く一方、3コーナーで故障をしてしまい、苦しむが倒れ伏した的場騎手を心配し痛みを堪えて近づこうとしたライスシャワー。故障した左前脚は完全脱臼、脱臼した脚の下は粉砕骨折してしまい予後不良の診断が下った。故障の酷さに馬運車にすら乗せられずにブルーシートをかけられその場で処置をされた。故障の際に同馬は泣いていたという。
そして愛馬を乗せた馬運車が去る際に、意識を取り戻して起き上がった的場騎手は最敬礼で別れを告げた…。



勝ち馬のダンツシアトルの話に戻るが、生まれながら脚部に不安のあった同馬。早い段階から素質を見せていたものの3歳の時点で骨折による長期離脱、何とか復帰できたもののオープン入りまで行った所で屈腱炎を発症しまたも離脱。
6歳になりようやく軌道に乗り中距離で安定した成績を挙げるようになった。前走の京阪杯で前年のオークス馬のキョウカイキャロルに勝利し、中距離の新星として春のグランプリに臨んだのであった。
しかしレコードでの激走の反動は大きく、このレースが結果的にラストランかつGⅠに臨んだ最初で最後のレースになってしまった。
ちなみに騎乗した村本騎手は、本レースから8年前の1987年有馬記念にてメジロデュレンで勝利した際も、その傍らでダービー馬メリーナイスがカラ馬となり失格し、2冠馬サクラスターオーが予後不良級の重傷を負う(その後治療も空しく他界)悲劇を目撃してしまっている。


また、ハイペースでの接戦が祟ったかダンツシアトルの他最下位ナリタタイシンもこの後屈腱炎により引退(ちなみに2頭ともに2020年他界と結構な大往生だった)。
引退まではいかずとも屈腱炎でエアダブリンは2年・14着ネーハイシーザーは1年近い長期休養を強いられ、12着のチョウカイキャロルも真菌性喉のう炎発症により繁殖入りになり今回がラストランになってしまった。
一方7着のサクラチトセオーはこの後天皇賞(秋)を制し有馬記念3着で引退。11着のフジヤマケンザンは同年七夕賞・海外遠征での香港国際カップ勝利と実績をあげている。


そしてライスシャワーの死から1年後の1996年9月、京都競馬場に新たなスポットが誕生した。

「疾走の馬 青嶺の魂となり」

と刻まれたライスシャワー碑が建立された。また、ここにライスシャワーの遺髪が納められている。
あの悲劇から四半世紀以上が経った今でも献花や供え物は絶えないという。特に菊花賞や天皇賞(春)のときにはなおさらだという。


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最終更新:2024年03月20日 11:44