ジャック・チャーチル

登録日:2014/04/27 Sun 16:25:00
更新日:2023/11/12 Sun 13:00:18
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ジョン・マルコム・ソープ・フレミング・チャーチル(1906-1996)とは、スコットランド魂あるいは英国面という概念の擬人化存在であり、ある意味空の魔王白い死神の同類である。
通称「マッド・ジャック」。座右の銘は「士官たるもの剣を持たずして戦場に赴くべきではない」
簡単に言うとFPSの世界で一人だけシステムが無双シリーズな人。そしてたぶん真の出身はFE世界
wikipediaではクレイモアを片手に上陸をしている勇姿を見ることができる。当然地雷じゃないです。

なお、第二次世界大戦期のイギリス首相サー・ウィンストン・チャーチルとは関係ない。


大戦前、あるいはマッド・ジャック潜伏期

生まれは英領香港で(没地と同じサリーだったり、植民地だったスリランカとも)、二十歳の時に王立陸軍学校に入学。卒業後はマンチェスター連隊に配属され、英領ビルマで軍務に就く。
この時、何がどうしてそうなったかは置いておくとして、カルカッタまでわざわざ無線を習いに往復4,000kmかけて「チャリで来た。」を敢行するなど、既に後のマッドぶりの片鱗を見せている。
が、本人曰く「あまり楽しくなかった」らしく1936年に除隊。第二次大戦が始まるまで新聞社に勤めていた。

覚醒、マッド・ジャック

第二次大戦が始まると再志願し軍務に復帰。なお、理由は「戦争ができるから」の模様。貴官はどこぞの初音デブか。
が、彼が配属されたのは「名目上だけ戦争やってる」おフランスの国境沿い。これではつまらんとフィンランド義勇軍に志願するも、それそのものが中止になってしまい暇を持て余す。
……と思ってたらついにドイツがベルギーに侵攻。大喜びで戦争しに行くこととなった。

そしてこれこそがマッド・ジャック伝説の幕開けであった。
なんと近代戦のまっただ中、ロングボウぶっぱして下士官ぶち抜くという嘘と冗談と英国面が総動員したようなスコアを叩き出してしまう。
当然第二次大戦唯一の「弓矢による」殺害スコアだがこんなん誰も真似せんわ。
また、いち兵士としても普通に優秀で、撤退中に取り残された戦車長を救出するなど地味に戦果を挙げている。
しかしいくらチートが奮戦しようが勢いに乗りまくって押せ押せムードのドイツ軍を押し止めることはできず、ダンケルク経由でイングランドに撤退。
新設されたコマンド部隊に「意味はわからないがとりあえず危険な任務がいっぱいで楽しそうだから」というアレすぎる理由で志願。
コマンド部隊をひとつ任されることとなる。絶対クレイジーさで率いていたに違いない

1941年12月27日、マッド・ジャック伝説第二幕。
ノルウェーに展開していたドイツ軍に対する奇襲攻撃(オペレーション・アーチェリー)においてあろうことかバグパイプを演奏しながら抜剣突撃をやらかすという凶行に出る。
奇襲って奇怪な襲撃って意味じゃねーから!
しかも突撃を成功させ、非常に少ない犠牲で島一つ占拠してしまうという戦果を叩き出してしまった。そして叙勲された。
ついでにコマンド第二部隊の隊長に昇進した。

1943年7月、マッド・ジャック伝説第三弾。
麾下のコマンドを率いて南伊で破壊工作の指揮を執るが、今度はナポレオン戦争時代よろしく戦列歩兵陣で突撃
……というのは有名な誤解で、実際は数的不利を覆すために総勢65名のコマンド部隊を6つの横戦列に分散。
何も見えなくなる深夜を待って、6方向から大声で「コマンドー!」と鬨の声を挙げながらドイツの砲兵陣地に襲いかかった。

目視による判断が出来なかったドイツ砲兵部隊はてっきりいつの間にか大軍に包囲されたと勘違いし大混乱。
教科書入りにできるような模範的な夜間奇襲の末に、100名以上の捕虜を取るというガチの大戦果が上がった。
なお、本人は当然のように指揮官先頭で抜剣突撃していた模様。帰路では手押し車に救助した負傷兵を載せ、捕虜に運ばせていたという(本人いわく「ナポレオンの戦争を参考にした」)……もう本当に何なのこの人。

1944年、マッド・ジャック伝説第四章。
ユーゴ戦線に投入され、ヨシップ・ブロズ・チトー率いるパルチザンと共闘。
5月にブラチ島攻撃命令を受け、パルチザン1,500人と配下のクレイジーコマンド40余名を率いて奇襲を敢行する。
上陸後の砲撃にビビってとんずらこいたパルチザン()を尻目にバグパイプを吹き鳴らして攻撃続行を指示、砲撃で次々部下が倒れる中でなおもバグパイプを奏でつつ奮戦するが、敵の手榴弾を食らい昏倒。
捕虜として収容所に送られるが、バグパイプを吹いては感想をそこらのドイツ兵に求めるなど相変わらずなフリーダムっぷりは健在だった。

当然収容所で燻っているような男ではない。
一度目は放棄された排水管を通り脱出するが、海沿いの街近くのところで捕まってしまう。
二度目はハードモードにもかかわらず脱走に成功、一週間かけて200kmを踏破し米軍への合流を果たす。
と言われているが、実際は脱走というより、ジャックたちイギリス将校や敵軍の高級将校、その他ナチスに反逆したドイツ軍将校や政治家などといった高位な囚人140人がダッハウ強制収容所から南チロルへ移送されていたのだが、ナチスSSに対してドイツ国防軍の横やりがあり、そのゴタゴタに乗じ国防軍から離れ、100km歩き米軍機甲部隊と出会って…というのが本当のところ

なお、人質の1人が泥酔したSS部隊の人間の財布からパクった文書によると、英国軍人全員と他国軍人含む28人は処刑するように求められていたようである。
この男、頭がおかしいくせに、前述の手榴弾を食らって死んでいないなど、妙に運が良い。

その頃には西部戦線は消化試合だったため太平洋方面への配属を志願するが、インドに着くか着かないかで終戦。
これには彼もマジギレし、「クソ忌々しいアメ公が余計な仕事しやがって、あと10年は戦争できたってのにグギギ……」とのコメントを残している。もうホント揺るぎねぇな。


戦後のジャック・チャーチル

1948年4月13日、ジャックは軍人としてかくあるべしという行動を見せた。
空挺兵の資格を取得してパレスチナ勤務中のジャックは、ハダサー医療従事者虐殺事件の現場に居合わせたのだ。
これはハダサー病院での講演に向かユダヤ人医療関係者たちが搭乗したバスを、アラブ人テロリストが銃撃したというもので、当時の複雑な情勢から委任統治中のイギリス軍が長時間介入を拒否した結果、死者79名、負傷者20名を出した大惨事である。
しかし12名の部下と共にバス警護の任務についていたジャックは、イギリス軍の命令を無視して躊躇なく事態に介入。
百名以上(二百五十名とも)のアラブ人武装集団に対して、英国軍の介入により事態が収束するまでの数時間、抗戦し続けた。
そしてその後700人のユダヤ人関係者を病院から避難も行った。

この一件に関して一つ断言できる事があるとすれば、この時のジャック・チャーチルは決してマッドなどではなかった、という事だ。


退役後のマッド・ジャック

戦後は河川逆流を利用して川でサーフィンするという画期的すぎてやっぱり英国面な方法でサーフィンを楽しむ。
一応フォローすると、イギリスではサーフィンできるスポットがエラい貴重で、
「それなら河川逆流使えばいいんじゃね?」となったのもわからない話ではない。ないったらない。
1959年に退役、1996年にサリーでその生涯に幕を下ろした。享年89歳。

武装

なんかもう挙げた戦果がアレすぎて概念武装か霊装の類じゃなかったのかとか疑いたくなるが、全部れっきとした普通の武器。
むしろ問題はこれらを使って戦果を挙げたのが第二次大戦期という事なのだが。

クレイモア

クレイモアと言えば対人地雷、もしくはスコットランド発祥の両手剣と思われがちだかどちらでもない。同じくスコットランド発祥だが篭柄の付いた所謂ブロードソードと呼ばれる片手剣。
どちらにせよ生まれる年代を世紀単位で間違えてる気がする。

ロングボウ

それなりのスコアを叩きだしている……らしい。銃など無粋、真の士官は弓で殺す
(狙撃銃じゃ)いかんのか? と聞きたくなるが、彼にはこっちのほうが性に合うのだろう。
生まれる年代をry

バグパイプ

ある意味彼の魂の一部。味方の鼓舞から突撃指示、攻撃続行の檄など用途は多彩。
それ攻撃力強化とか演奏しながら殴りかかるどっかのハンターの武器なんじゃ……。



追記・修正はバグパイプ片手に抜剣突撃成功させてからどうぞ。

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最終更新:2023年11月12日 13:00