ハンス・ウルリッヒ・ルーデル

登録日:2009/06/04(木) 08:05:18
更新日:2024/03/28 Thu 22:37:24NEW!
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第二次大戦中、独空軍に所属した対地攻撃のエース。…ってのが一応の肩書きだが、そもそも人間なのかどうかも疑わしいスーパーハイクオリティな御人。
ホラ吹き揃いのかのアンサイクロペディアンにすら「こんな嘘くさい事実に対して、これ以上嘘を加えることなんて不可能」と言わしめ、クソ真面目にウィキペディアの真似事をさせたリアルチートである。(のでアンクロの記事も大体が実際の記録やら逸話をより元ネタにしている)

仮想戦記においても事情は同じ。余りに嘘くさい戦果過ぎて作品に取り込めないのだ。説得力何それ美味しいの?
最近になってノビーこと横山信義が火星人相手にようやく暴れ回らせた。この展開に涙したファンは多いとか。

生涯撃破スコア(公式)
出撃回数 2380回
戦車 500以上
車両 800以上
火砲(100mm口径以上) 150門
装甲列車 4
戦艦 1
巡洋艦(大型駆逐艦) 1
駆逐艦 1
航空機9機
 内 戦闘機 2
   爆撃機 5
   その他 2
(撃墜数9の内、2機が「IL-2」という資料有り)
戦闘による負傷 5回
ソ連により掛けられた賞金 10万ルーブル
(大戦当時のソ連の労働者の平均年収は約600ルーブル。現在の金額だと約5億円)

加えた損害…約10個師団相当

あのヨシフおじさんに「ソ連人民最大の敵」とまで言わしめた、ドイツ空軍無双の男。

アンクロ曰く、
「朝起きて牛乳飲んで出撃して、朝飯食って牛乳飲んで出撃して、昼飯食って牛乳飲んで出撃して、夕飯食って牛乳飲んで出撃して、シャワー浴びて牛乳飲んで寝る」
という生活をしてたらいつの間にか戦車撃破スコアトップになったとか。

しれっと「5機以上の戦闘機の撃墜」もクリアしているため世界的に見れば対戦闘機でもエースパイロット。
その中に平然とIL-2(当時最新鋭のソ連戦闘機)が複 数 機含まれるのがアカアンチの閣下クオリティ。

あまりにも信じられないスコアなので嘘や誇張だらけと思うだろう? 無理もない。それが普通の感覚だ。
しかしルーデルが活躍したのは東部戦線、どこまでも平原が広がる大地。
ここでのスコアは敵も味方も残骸を直接確認できるため、極めて精度が高い。
もちろんある程度の漏れが出るのはやむを得ないが、それでも2倍、3倍なんてことにはならないし、敵の目から隠すことも難しい。
なのでこのスコアは概ね正確と言って良い(実際には・・・後述)。


無論自身も万事無事とはいかず、通算で三十回撃墜され13回程捕虜になりかけるが終戦まで生き延びた逆撃墜王でもあり、
負傷もそれなりの回数しているが、病院を脱走してまで出撃を繰り返した不死身の魔王でもある。

ちなみに脱走がバレた原因は本人曰く「誰が撃破したか分からない戦車が多すぎたから」だそうな。
しかもある時は機体がバラバラになるくらいこっぴどく撃墜されても自力でドイツ軍陣地まで帰還し、先に救出され治療を受けていた後席機銃手であるガーデルマン
「休んでいる暇はないぞガーデルマン、すぐに出撃だ!」と言って引きずり出撃していった。
ちなみにその時、ガーデルマンは肋骨を三本骨折していた

またその後日は被弾した際に足を失ったのだが、その事を女房役のガーデルマンに告げたところ、
「足が無かったらまともに操縦出来るわけがないでしょう。さっさと基地に帰りましょう」と言われ、
「それもそうか」と返すものの、片足の痛みが次第に恍惚感に変わっていき「これはまずいか?」と思いながら帰還。基地に帰ったら本当に足が無かった。

即入院し、さすがのルーデル閣下も涙した。
その姿を見た同僚が「片足が無くても戦闘機には乗れるさ」と慰めたところ、
「違う、足はまだ一本ある。ソ連の戦車を『しばらく』ぶっ潰せないのが悔しいんだ」と返した。
なにかがおかしいが、以前にも黄疸にかかった際に医師の「無理をすると命の保証はない」との忠告を振り切って出撃したり、やはり撃墜されたときに六週間の入院を告げられるも、敵軍の襲撃を聞いて八日目で病院から戦場へと脱走したりしていたので、彼にとっては平常運転である。
上記の怪我の際も、『しばらく』の言葉通り、一月半ほど(本来なら半年安静)で医師の制止を振り切り無理やり退院、出撃した。

ちなみに、彼が片脚を失った後に報告された撃破スコアだが、一時期上層部は「ルーデルの教え子(チーム)の合同スコアだろwww」と思ったらしい。
ルーデル単騎のスコアと知った時の驚きはいかばかりであろうか…

彼は第二次大戦中のドイツ軍の最上級の勲章である黄金柏葉剣付ダイアモンド鉄十字騎士勲章なるものを授与されている。
実はこの勲章はあらかた勲章を取り尽くしてしまったルーデルに贈る為に作られたもの。
彼のような英雄がまた現れることを願い円卓の騎士に準えて十二個作られたが結局ルーデル以外に受賞した人間は当たり前だがいなかった。こんなバケモノが12人もいてたまるか。いたら絶対ナチスが勝っていた。
352機撃墜のスコアを誇るエーリヒ・ハルトマンですら授与されていないのだから、ルーデルの功績がいかに図抜けたものであったかがうかがい知れよう。

事実、総統閣下はモルヒネデブでおべっかを使うヘルマン・ゲーリング国家元帥よりも、自分を心から尊敬しているルーデル閣下の方を信用していて、死の前に「ルーデルを呼べ!!ルーデルの飛行機で脱出するんだ!」と喚き散らし、部下を困惑させたという。
これもまた総統閣下がルーデルに一縷の望みを託していたのが分かる逸話だろう。
「総統閣下は個人として尊敬している」とはルーデル本人の弁であるが、彼はドイツ軍に所属していても最期までナチ党員じゃなかった…それでいいのか。

総統閣下の命令で転属になった際、ルーデルの直属の上官で北方軍集団司令官→中央軍集団司令官を務めたフェルディナント・シェルナー陸軍元帥をして
「ルーデルの援護なしで前線なんか維持出来るか!!」
とキレさせたという逸話も残している。ルーデルを「1人で一個師団の価値がある」と評したのもこのシェルナーである。


終戦後28歳年下のドイツ人女性ウルスラ(Ursula. 1944年生誕、当時21歳)と再婚。


連合軍の捕虜になった際、乗機のJu87Gにどんな改造がしてあったのかしつこく尋ねられた。
と言うのも彼は高射砲に墜とされたことはあっても、戦闘機に撃墜されたことは一度もなかったからだ。

彼の乗機は当時の戦闘機の半分程度の速力や機動力しかない爆撃機Ju87Gスツーカだったので余程凄まじい改造がされていたのだろう、と連合軍は考えていたのだが
実際は「戦車をぶち抜けるようにJu87Dに37mm対戦車機銃を外付けしてもらった」と答えるだけだっただった。

ただでさえ足の遅い機体に重い機銃を強引にくっつけるという、更にバランスが悪くなるような改造をして戦闘機から逃げられるはずがないと言う連合軍士官に、
「そんなに不思議な事なのかね?私にはこれといった秘訣はなかったのだが…」と言ったそうな。
ただし「おっそろしく操縦の難しい機体」とも言っている。

ちなみに、何故かソ連には引き渡されなかった。
ハルトマンは引き渡された挙げ句、抑留されたのに!

恐らく爆撃機ではなく戦闘機のパイロットをやっていてもエースパイロットだったであろう。
(実際に航空機撃墜数9なのでエースの基準には入っているし、Ju87系が致命的に陳腐化した戦争後半ではFw190の戦闘爆撃機型を駆っていて、撃墜記録の殆どはこの頃出した物である)
なお、彼は訓練生時代「戦闘機のパイロットは非常に狭き門」と聞かされたために爆撃機を志望したのだが、
それはハッタリであり、彼の同期で戦闘機を志望した者はほとんどが希望通り戦闘機パイロットになった。
この事実を知った彼は非常に悔しがったとか。



戦争終結後はアルゼンチンやパラグアイの独裁者と親友になって両者の仲を取り持ったり、ピエール・クロステルマンとお互いに行き来して遊び合う親友になったりした…なんなんだアンタ。

そして片足義足なくせに冬山登山(プロレベル)をして、500ヤードも滑落して、やっぱりわずかな負傷だけで生還したり、
友人が滑落死したときはわざわざ死体を探し当てた後、その亡骸を担いで山頂に埋葬しに行ったり、
心臓発作起こしたのに平然とスポーツに復帰したり…やっぱりなんなんだアンタ


その後、アメリカに渡りフェアチャイルド社の傑作攻撃機A-10 サンダーボルトⅡの開発に助言をしたりもしている。
A-10開発者の必読書は閣下の著作である『急降下爆撃』


ちな上に書いてある公式スコアだが、実は・・・・?

嘘でーす!w
つか、そもそもエースの公式戦果はスコアの過剰報告や戦意高揚の為に誇張されたりで怪しいのが多いだろうがw気づけよw

特にルーデルは休暇中にも書類偽造して出撃したり(ん?)、味方が休暇を取れるように&自分が前線に留まるためにスコアを他人に譲ったり自分の分を過小報告したり(え!?)と粉飾を繰り返している。
つまり、実際には公式スコアより多くなる。
あ…?あ…?*1


  • ルーデルの著書『急降下爆撃』
  • ピエール・クロステルマンの著書『撃墜王/空戦』

の2書は世界中の戦闘機、爆撃機乗り達の聖書であり教科書であり英雄伝であるらしい。


をここに加えるという意見もあるものの、大空のサムライに関しては近年明らかな内容の捏造や誇張が指摘されており、ノンフィクション風小説としてはともかく史料としての評価は著しく低下していることには留意すべきだろう。

ちなみに、『撃墜王/空戦』の著者のピエール・クロステルマンとルーデルは戦後に出会い大親友になっている。
他にも、イギリス空軍のダグラス・バーダー大佐と面会して意気投合して腕のいい義足を調達してもらった。実はバーダー大佐も義足で空中戦を駆け抜けたエースパイロットであった。
類は友を呼ぶ。義足のエースたちの前に国籍の違いなど関係ないのだ!


そんなルーデルもやはり人の子だったらしく、1982年12月18日死去。

葬儀の当日には警察にみつかれば捕まるにもかかわらず、ネオナチの方々が駆けつけ平然と第三帝国国歌が流されたり、近くを飛んでいた西ドイツ軍の小隊も追悼飛行を行った。この事に対して問い詰められた西ドイツの小隊長は、
『訓練の為に行った。たまたま追悼飛行のような飛び方をしただけだ。下で英雄の葬式があったことは知らなかった。』
と発言した。おい確信犯め*2


超越種智たる魔王閣下と苦楽を共にした後部銃撃手は5人。
シャルノヴィンスキー、ヘンシェル、ロースマン、ガーデルマン、ニールマンである。
一番長くルーデルとつき合ったのは、4人目、ガーデルマン。
(なお、ガーデルマンは「シュトゥーカ・ドクトル(爆撃医者)」の異名を持つ、後部銃撃手で有りながら鉄十字勲章を戴いた「後ろの撃墜王」でもある)
本業は医者であり、循環器官の専門である。戦後は、ミュンヘン五輪のスポーツドクターをしてたりする。


~ルーデル語録~

「全てが静かで、まるで死んだように思える」(戦車28両を撃破し、その後の偵察飛行において)

「自分に価値が無いと思っている人間が、真に価値無き人間なのだ!」(怯える部下に対して)

「休んでなどいられない。すぐ出撃だ!」(特別休暇中――またの名を負傷療養中ともいうが――ソ連軍接近の知らせを受けて)

「今、このまま帰国する気持ちにはなれないな」(満身創痍の状態にて帰還した際に)

「総統、もし私が飛行大隊と行動を共にするのが許されないのでしたら、私は受賞と昇進とを辞退申し上げたいと存じます」
(黄金柏葉剣付ダイヤモンド騎士鉄十字章受賞式にてヒトラー総帥に対して)

「ちょっと試験飛行をしただけです」(無断出撃について問い詰めてくる上官に対して)

「私を墜としたくばハルトマンでも呼んでこい」

「ここはドイツだ。たとえ英語が話せたとしてもドイツ語以外話そうとも思わないし、どんな敬礼をしようと君らの知ったことではあるまい。我々はドイツ軍人としての敬礼法を教わり、それをそのままやっているだけの話だ。
シュトゥーカ隊は空の戦いで敗れはせぬ。我々は囚人ではない。ドイツ兵は全ての戦闘に負けたものではなく、ただ物量の重圧に屈したに過ぎない。我々がここに来たのも、ソ連地域にとどまるのを欲しなかったからだ。
ま、そんなことはどうでもいい。身体を洗わせてもらいたい。それから何か食べ物が欲しい。」


1976年には、本当に自重しない閣下のお蔭で「ルーデル・スキャンダル事件」が起きた。
簡単に言えば閣下に関わった有能な空軍幹部二人と無能な大臣が退陣に追い込まれた。
が、閣下はお咎めなしだった。

いかに政治的に問題のある人物であろうと、実績が図抜けていれば手を出せないという証左であろう。
+ 特に面白みのない政治の話
 1976年春、南米から帰国したルーデル大佐(ここからは大佐と記述)はドイツ連邦軍の高級幹部からドイツ空軍第51偵察航空団「インメルマン」(名前の元となったマックス・インメルマンもまたエースパイロットである)の慣例行事に招待された。
連邦軍はナチズムとの決別する立場を表明していたため、大佐はブラックリスト入りしていたのだが色々あって招待される事となった。
 大佐は例によってここでも先の大戦について威風堂々と発言し色んな人の肝を冷やしたが、二人の将官(どちらも大戦期からの軍人)は公式の場にもかかわらず、ドイツ社会民主党(SPD)の重鎮政治家のドイツ共産党員の過去と比較し大絶賛した。
もちろん大問題になり、国防大臣によって将官らに1976年11月1日付けで早期退役を命じられてしまう。この人事に野党CDUは大反発し、このスキャンダルで後に大臣辞任の一因にもなった。
 上記にあるようにNSDAP(ナチ党)に入党していないとはいえ、戦後親ナチ的なドイツ帝国党(NPD)に関与政治活動にもかかわっていた。ヒトラーと親密であり続けたことやナチス党員の逃亡を手助けしたこと(ヒトラーの妹への面会も行ったという噂もある)など行動に対し、批判的なドイツ人も居る。1978年アルゼンチンで開催されたFIFAワールドカップではドイツのサッカーチームを訪問し、その経歴からマスコミ(ドイツのマスコミは左派的な面が強い)から批判を受けたとされる。
 とはいえ、親友のグロスマンの言うように彼個人は人種差別主義者ではなく、反ユダヤ主義者ではなかった。
日本で絶賛するなら必要以上に委縮する必要はないが、外国人相手に大佐のことを話す時には注意することが望ましいだろう(大佐を知っている人は大体はミリオタや歴史好きの人であろうが)。
参考文献
G.フィッシャー、U.リントナー共著の『ナチス第三帝国とサッカー』
グイド・クノップ著、高木玲訳『ヒトラーの親衛隊』
ヴォルフガング シュトラール著『アドルフ・ヒトラーの一族―独裁者の隠された血筋』
ヴェルナー・ヘルト「アドルフ・ガラント」




ルーデル閣下「休んでいる暇は無いぞ。ガーデルマン。すぐに追記だ」
ガーデルマン「それには先ず編集をする必要がありますね、大佐」

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最終更新:2024年03月28日 22:37

*1 ルーデルの主戦場であるソ連はユーラシア大陸最大の大平原であり、海の上と違って残骸を発見しやすいため、キルスコア判定は非常に信頼性が高かった。

*2 当然ナチス賛美に当たる行為であり、ドイツ刑法130条「民衆扇動罪」に問われる重罪でもあるし、軍法会議、不名誉除隊ものの大問題である。そうでなくとも後述「ルーデル・スキャンダル」よろしく辞任に追い込まれる事も。