凌遅刑

登録日:2011/09/30(金) 20:30:56
更新日:2024/04/23 Tue 13:36:42
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※警告
この項目は残虐かつ猟奇的な内容を含んでおります。耐性の無い方の閲覧は自己責任でお願いします。

























凌遅刑(りょうちけい)とは中国で五代十国時代から清時代までの間に行われていた処刑方法である。
※ここで言う 行われていた はあくまでも法制化されていたという意味であり、他の時代でも行われていた。
また、李氏朝鮮でも行われていた。

歴代中国王朝に於ける最も重い刑とされている。
この刑を科されたのは国家転覆を企てた首謀者、尊属殺人者、猟奇殺人者などである。





肝心なこの刑の内容についてだが、さて、諸君は家畜の解体現場を見たことがあるだろうか?
何故突然こんなことを聞くかというと、そう、この刑は人間解体ショーと言うべきものなのだ。
体の肉を寸ごとに切り刻むのである。
胸を徐々に削いでゆき、次は指先から少しずつ、肩までいけば、もう一方の腕を、さらにそれが終われば脚を……といった具合である。

「長時間に渡って苦痛を与えた上で刑死させる」処刑法なので、すぐに受刑者が死んでしまわないように医師が平行して止血など治療しつつ行われる。
どれだけ生きたまま苦痛を与えられるかは受刑者によって異なり、お上の意向に沿わずにすぐ失血死やショック死してしまうこともあれば、
死ぬ前にβ-エンドルフィン等の脳内麻薬の多量分泌により廃人化してしまうほど生きてしまった上で死んでしまうこともある。
ちなみに明の頃にこの刑に処された「劉瑾」は、3000回以上切り刻まれてなお生きていただけでなく、
刑の執行を中断されて獄舎に戻った彼は夕食として出された粥をおかわりするほどには元気だったらしい。化け物か。


刑によっては数千回刀を加えられていたのだが、清代末期には8回に簡略化され、その刀数通り、「八刀刑」とも呼ばれるようになった。
その手順は
第一刀 胸(鳩尾)
第二刀 上腕
第三刀 大腿
第四、五刀 肘下
第六、七刀 膝下
第八刀 首
である。
切り落とされた部位は籠に入れられ、首は晒された。


1905年、清王朝は国内外の批判などにより、梟首(晒し首)、戮屍(死体の辱め)と共に凌遅を廃止し、斬首のみを極刑とした。
廃止されたのが比較的近年なので、その様子を写した写真も残っているが、モノクロではあるが心臓が弱い人は見ない方が賢明だろう。


「遅」という漢字は凌遅が元になっている象形文字。
羊は人が丸太に縛られている様子、しんにょうは罪人の命を長く保たせるという意味を表している。


以下更なる狂気へ





















この刑で受刑者から削られた肉片は、漢方として売られていた。
過去の中国などでは、人肉が妙薬扱いされていたりで人肉食が行われることもあったのである。



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最終更新:2024年04月23日 13:36