特攻(戦術)

登録日:2012/06/23 Sat 17:33:26
更新日:2024/03/04 Mon 12:40:45
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特攻の目的は戦果にあるんじゃない、死ぬことにあるんだ!
―中島正飛行長―

彼らは英雄的な行為として機体もろとも目標への突入を完遂しているのである。
「カミカゼ」という言葉は、日本がモンゴルからの侵略を受けた時に敵軍の船を吹き滅ぼして日本を救った「神風」に由来しており、
日本人にとっては特別な意味を持つ。
―ナチスドイツ機関紙『民族の監視者』―

まことに遺憾であるが、しかしながら、よくやった。
―昭和天皇―

フェニックスのように灰の中から立ち上がる新しいもの、我々は今それを求めている。
―神風特攻隊員佐々木八郎―

究極の覚悟なくば、この戦いは敗れるであろう。
――
愛国心では日本人にかなわないとでも思っているのだろうか?
―エルベ特攻隊設立者ハヨ・ヘルマン―

【概要】

日本語において、特攻とは二つの意味が存在する。
1 特別に編制して攻撃すること。
2 特に、第二次大戦末期に行われた、旧日本陸海軍による体当たり自爆攻撃のこと。→特攻隊

※デジタル大辞泉より引用

1(元々の意味)は「特殊な兵器を用いて行われる攻撃および戦術」、2は戦死を前提とした攻撃である。

1の意味における「特殊な兵器・編成」とは決して戦死を前提としたものばかりではない。1の意味での特攻兵器はどこの国でも考案、開発されている。
この二者には絶対的な違いがあり、取り違えた場合は致命的な齟齬が起こる可能性が非常に高い。その事を念頭に置いていただければ幸いである。

【自爆戦術としての特攻】

狭義では太平洋戦争(大東亜戦争)末期における、大日本帝国軍に頻繁に見られた戦術を指す。
旧日本軍だけでなくナチスドイツのエルベ特攻隊(ゾンダーコマンド・エルベ)の戦術としても知られている。
日本陸軍による「バンザイ突撃」等の玉砕と同一視されることも。

英語やドイツ語では”kamikaze”と呼称されることが多い。英語では”kamikaze-attack”(神風攻撃)、”baka bomb”(バカ爆弾)とも。

神風特攻の影響から近代(WWⅡ以後)以降では、爆弾等を用いて航空機・艦船・戦車または単身で、敵に体当たり・自爆する行為も特攻と呼ばれる。
「kamikaze」という単語そのものも一般名詞・形容詞化しつつあり、無謀なといった意味で使われることもある。



本項では以後特記ない限り「第二次世界大戦期における大日本帝国が実施した特攻戦術」についてを取り扱う。

【経緯】

大日本帝国の日本軍はもともと、「決死隊」や「挺身隊」等の生還が難しい任務をこなす隊を組織する事はあったが、自殺)を前提とした「特攻」、という考えは存在していなかった。
実際「特攻」を遂行する上で必要な「特別攻撃機」の元の分類である「特殊攻撃機」は真っ当かつ典型的な局所兵器に分類されるものである(潜水空母に搭載するのを前提にした爆撃機「晴嵐」とかが該当する)。
特攻の先駆者に当たるのはむしろ、枢軸国として大日本帝国が同盟していたナチスドイツに当たる。
ドイツでは18世紀から、「死の喜び」(トーマス・アプトのエッセイ)のようなロマン主義が継承されており、第一次世界大戦では「愛国青年団体」が国歌を口ずさみながら自殺攻撃をしかけたと伝えられている。

しかし単なる精神論ではない近代軍事科学を利用した自殺攻撃は、「特攻」が最初と言えよう。
これが考案され始めたのは、マリアナ沖海戦、レイテ沖海戦等の度重なる敗北に稼働空母がほぼ沈み、保有航空機の数も減少し、
米軍側の反撃により生活物資等にさえ悩み始めた為とされる。(本土の物資事情が悪化したのは、マリアナ沖海戦後からである)

日本軍は、1944年度に急速に進んだ米軍側のレーダーや対空兵装の強化により、お家芸のはずであった航空機による攻撃が全く通用しないことに苦しんでいた。
この時には開戦時に在籍していたエースパイロットたちも過半数を失っており、新人の攻撃の命中率を上げる事も難しい。
なにより、飛ばすのがやっとの学徒兵パイロットばかりで、マリアナ沖海戦を境に「出撃=戦死」という状態になりつつあった。
また技術的に未熟だったために無人誘導兵器の開発が頓挫した事がトドメとなった。(その為初期の特攻機は開発失敗した誘導兵器の誘導装置部分を無理やり操縦席に変えたものや、旧型機を使ったものが多い)

理系の学生は経理・理工学技術・医務等に優先配備されたが、文系学生は帝国大学のエリートだろうとキリスト教徒だろうと作戦に投入されるという、カオスを通り越して末期的な状況だった。
そんな中で
  • 死は当然至極、死ぬことにこそ価値がある
  • ただ飛ぶだけのパイロットでも必中必死の攻撃はできる
  • 死後に大いなる蘇生が待っている
といった思想が広まり、特攻隊が成立していったのである。
最初に神風特攻隊が、次いで神風の「愛国心」に対抗するためにエルベ特攻隊が出撃していった。

無論、戦果より死を重要視する特攻は、無抵抗に受容されたわけではない。
特攻に対する不満や批判は、当時でも既に軍人や特攻隊員自身から、公的かつ私的に発生していた。
しかしそれらが公開されたのは、敗戦後だった。

◆戦果

『国史大辞典』では

全期間を通じての特攻戦死者数は約四千四百人、命中率は十六・五%であった。

とされている。 ただしこれらの数値は、算出方法によって少々変動する。

社会学者青木秀男の学術論文によれば、戦死者数や命中率が変動するのは、特攻の定義や用いられた資料の違いが理由だという。
以下は代表的な算出結果である。

服部省吾の算定:「出撃総数は約3,300機、敵艦船への命中率11.6%、至近突入5.7%、命中32隻、損傷368隻」。
生田惇の算定:「出撃機数2,483機、奏功率16.5%、被害敵艦数358隻」。


【実戦】

初めて特攻機が出撃したのはレイテ沖海戦。
神風(しんぷう)特別攻撃隊による敵艦艇への体当たりが始まりであった。

約40分間に渡る猛攻の末、零戦が護衛空母セント・ローに突入し撃沈した瞬間。
この際にデストロイヤーこと、菅野直大尉の同期であった艦爆エースの関行男大尉が戦死している。彼はこのような言葉を残した。

日本もおしまいだよ。僕のような優秀なパイロットを殺すなんて。
僕なら体当たりせずとも、敵空母の飛行甲板に500キロ爆弾を命中させる自信がある!!
僕は天皇陛下のためとか、日本帝国のためとかで行くんじゃない。最愛のKA(海軍隠語で妻を意味する)のために行くんだ!

これが辞世の句として公表されれば、歴史の流れも相当に変わったかもしれない。
しかし関行男大尉に限らず、こうした特攻批判は封殺され、国家ぐるみで特攻隊員は「英雄」と称えられた。

特攻隊員には将来、国や軍を担うと期待された官僚や軍人の子息も含まれる。
例としては、特攻指導者の一人であった冨永恭次中将、松阪広政大臣の子息が有名である。

総動員体制が徹底されていく中で、あの東条英機でさえも1945年には近いうちの敗戦を悟っていた。


誰も勝てるとは思っていなかった・・・わけはなかった。

必至必中の体当たり攻撃を以て航空母艦一隻撃沈、同一隻炎上撃破、巡洋艦一隻轟沈の戦果を収め、
悠久の大義に殉ず、忠烈万世に燦たり

海軍省は関行男大尉が率いた敷島隊について、上記のように「必中」の発表した。
奇妙なことに、特攻というイメージで鼓舞されたのは当の特攻隊員だけでなく、政府・軍・臣民であることも多かった。
市街にも

「ぜいたくは敵だ」「百年の うらみを晴らせ 日本刀」「進め一億 火の玉だ」
「一億の 心に染めよ 日章旗」「この本性を見よ!毒獣アメリカ女」「一億抜刀 米英打倒」

等とスローガンが随所に貼られた。


特攻隊員が「志願」せざるを得なかったのは当時の「空気」故だと、戦後の様々な証言は述べている。
特攻隊員の中には自分が将来を誓い合った恋人、あるいは許嫁、妻を同乗させ、共に敵艦に突っ込んだ例も存在する。

当初は妻子がいることを理由に特攻を思いとどまらされたが、後に妻が「足を引っ張らないように」と一家心中したために特攻出願ということさえあった。
他にも「自ら進んで志願した」「嫌と言える空気ではなかった」「命令で逆らえなかった」等、様々な証言がある。
そうして特攻隊に配属されても、出撃前夜に眠れずただ蹲る者や、直前に怖気づいて立てなくなる者もいたとされる。


◆米軍の状況

一方、米軍側は実害以上に精神的ダメージを受けてその狂気の戦法に戦慄し、精神病を発症し帰国した兵さえ居た。
ある艦は健常者が30~40%しかいなかったとも言われる。
にも関わらず、米軍は電子装備やレーダー網、艦載戦闘機、対空火力等を加速度的に増強し、さらには特攻機の出撃基地を攻撃することで特攻を無力化していった。

欧米人(ドイツ人除く)の常識で考えれば、継続的かつ組織的に、国策として自殺攻撃が行われるなど想像の埒外だった。
事態を打開するための自己犠牲ならまあ理解はできるのだが
もう勝てないのは明白なのに今後の未来に役立つ若者や工業資源をどんどんすり潰してわずかな戦果を得て何になる?という意味である。
スポーツで例えれば ゲームセットの笛を鳴らすのを数秒遅らせるためだけに選手が次々と試合場で自殺するに等しい 行為であり、その選手を育てて次の試合で雪辱しようとしないの?と混乱するのもむべなるかな。
最初は狂気の沙汰として、後には“mystery”(謎)や“baka”(馬鹿)として認識されていった。
その中で最初から特攻隊を「英雄」と称賛していたのは、ナチスドイツだった(同盟国かつヒトラーが望んでいた国民性のひとつでもあるのである意味当然とも言えるが)。


◆「勝利の死」

レイテ沖海戦で日本海軍は残存していた大型軍艦の大半を喪失、組織的な作戦能力を失った。
それに反発するかのように、特攻の推進と、特攻専用の兵器開発が進められた。

遅くともこの頃には、特攻は勝利よりも「死」を目的とすることが主流化していたようである。

例:
生還した特攻隊員の角田和男の証言である。
証言によると、敵ではなく桟橋へ体当たりするよう命じられた特攻隊員も居た(フィリピンのレイテ島タクロバンの桟橋)。その隊員は
そこには輸送船もいるんだから、空振りでもいいから輸送船に体当たりさせてほしい。いくらなんでも、桟橋に体当たりするのはいやだ
と中島正飛行長に頼んだ。しかし飛行長は、こう怒鳴りつけたという。

文句を言うんじゃない、特攻の目的は戦果にあるんじゃない、死ぬことにあるんだ!

大日本帝国では、徳富蘇峰などが旧約聖書のサムソンから着想を得て、「勝利の死」というプロパガンダを広めていた。
軍事学・軍事史学等から見れば、特攻は戦略的失敗なのだが、彼らにとっては自らのプロパガンダが目的を果たしたと言えよう。


◆特攻の全軍化、「一億総特攻」

レイテ沖海戦後、特攻は全軍化。
ある将校の発案で特攻専用の兵器である「桜花」が開発され、そのついでに「回天」が製造され、更に伏龍、梅花などが考案された。
特攻兵器で極めつけなのが「ウイングカッターが武装である特攻機」で、本当に計画が進められた。

この頃各島を護る陸軍隊の玉砕特攻や大和等による水上特攻も行われた。

1945年4月、海軍中将の伊藤整一は旗下の戦艦大和の沖縄突入に「多数の犠牲が出る事が確実なのに対して戦果が期待出来ない」と当初は反抗していたが、

一億総特攻の魁となって頂きたい

と依頼され、即座に了承した。ところが米軍側は1945年に入る頃には、対特攻用の兵器や戦術を万全にしており、
突入すらできずに撃墜されてゆく特攻機が殆ど。

本土決戦をも見越して多数の特攻兵器が作られていった。そして、昭和天皇は特攻について「まことに遺憾であるが、しかしながら、よくやった」と述べてはいたが、結局はポツダム宣言を受諾し「聖断」、そして玉音放送により戦争が終結、更なる犠牲は回避された。

+ 特攻の戦果の詳細
さて特攻の戦果だが、
出撃機数約1900機の内、敵艦艇に命中した機数は295機だという。
ただしアメリカ軍の評価では戦場に到達した機体の6割弱が有効弾となり、なんらかのダメージを艦艇に与えたとされる。
より正確には沖縄戦が始まる前の集計で、迎撃を突破してアメリカ艦隊の視界にまで入ってきた機体が356機あり、
そのうち140機が命中、59機が至近弾となった(つまり199/356=55.9%)。
言うまでもなくこの成功率は終戦間際の航空攻撃としては異常なまでの高率である。

だが戦艦や巡洋艦、それに正規空母といった重装甲の目標は、一隻も撃沈できなかった。
これは特攻機自体にそれほど大きな爆弾を搭載できない事に加えて、体当たりでは通常の爆弾投下より速度が遅い分威力にも乏しかったこと、
そもそも先述した特攻隊員自身の練度不足もあって撃ち落とされたり急所には当たらなかったことが大きい。
それでも空母については最優先目標とされていたことと、状況によっては艦載機や弾薬への引火が深刻な事態を引き起こした事例などから、
少なくとも4隻が終戦まで復帰できないほどの大ダメージを負い、他にも複数が数か月の修理を要する深刻な被害を受けた。
太平洋戦争でアメリカ劣勢時から奮闘してきた武勲艦の空母・エンタープライズも特攻で被害を受けた艦の一つである。
この時特攻をかけた富安俊助中尉の亡骸を、エンタープライズの乗組員は自艦の戦死者たちと同様に丁重に水葬としている。

また、比較的装甲の薄い駆逐艦以下の小艦艇や、大量に運用された護衛空母に対しては十分な威力を発揮しており、
フィリピン戦では護衛空母が甚大な被害を受け、
(2隻沈没の他10隻以上が撃破されるなどした結果、護衛空母艦隊がまるまる1個消滅してしまい、海軍作戦に大きな支障をきたしている)
また沖縄戦ではアメリカ軍が特攻対策としてピケット艦(駆逐艦に長距離レーダーを積んだもの)を早期警戒網として配置した都合上、
駆逐艦以下が次々と撃沈・損傷し、一時期は艦隊駆逐艦の3分の1が戦列を離れるほど深刻な事態になっている。
現在では基本コンセプトは継承され、小型化・高威力化・無人化・遠隔誘導化されたミサイル等の誘導弾へ進化している、元が誘導兵器の開発失敗による戦法だったが有人という欠点さえ解消されれば世界各国の標準兵器になるほど有効な戦術ではあった。

他方、抵抗力の高くない輸送船などを狙うべきだったのに、正規空母など防御力の高い船を狙った分、成果が十分ではなかったという批判も存在している。


【評価】

国家敗亡の間際での決断を、現在の価値観で批判すること自体に対する批判もある。
しかし特攻隊に対する評価の全てが、当事の人々の心情に寄り添うことを目的としている訳ではない。
少なくとも研究の場合、目的は戦死者や遺族への同情・哀悼ではなく、批判的な事実検証である。

◆軍事史学からの評価

およそ厳しい評価を下されている。

例:
軍事史学会の研究論文では、特攻は「不条理な死」の一種に分類されている。
(「第二次世界大戦の日本人戦没者像――餓死・海没死をめぐって」、『軍事史学』166号、2006年)

感情主義や「死」の賛美は、特攻隊を含め日本軍全体についても指摘されるところである。

もはや戦略や打算を超越した別次元での発想と考えるのが適切かと思われる。 … 建前では至るところで「必勝の信念」が横行していた。
「頼むは石に立つ矢の念力のみ」(宮崎中将)とか「勝利か、しからずんば全軍玉砕かの信念」(原中佐)に至っては、
絶望の悲鳴なのか、滅亡への賛歌なのか見きわめがつかない。
(秦郁彦『旧日本陸海軍の生態学――組織・戦闘・事件』中央公論新社、2014年)


そもそも、軍事学・軍事史学は論理実証を重視している。そこから見れば、特攻隊の「悲劇」「英雄」「自己犠牲」「日本らしさ」といった精神的特徴は、基本的に批判の対象、または論外ということになる。

また、かつて特攻作戦参加を命じられたが生還した、池田武邦も軍事史学会に寄稿している。池田は特攻を、「行動美学の実践」と評している(すなわち非感情的・論理的な行動の実践ではなく、一種のロマン主義だった)。

池田は

日本が戦争に突入してしまった歴史的真実の究明と、そこから真の世界平和への道を学びとる叡智こそ重要な課題である

と評している。
(「戦史史話 沖縄海上特攻 (特集 日本のシー・パワー)」、『軍事史学』44巻4号、2006年)


◆歴史学・文化史学からの評価

後世では、「特攻は命じた側もそれを実行した奴も馬鹿だ」という意見はよく見られる。
そうした意見の中には、正当な日本軍において非合理性や狂気など例外に過ぎない、という意見もあるし、平和主義の中でも感情的な派閥からの意見や、あるいは単なる偏見が含まれていることは否めない。

だが歴史学・文化史学における特攻研究では、神風特攻隊の特徴が西洋(ドイツ)からの借り物、あるいは借り物に日本風の外面を付けたものと考えられており、懐疑的・実証的な分析が進められている。
軍事史学が「絶望の悲鳴」「滅亡への賛歌」として切って捨てたような日本軍の精神主義も、こうした人文学・社会科学では分析の対象になる。

近年の研究によれば、特攻隊が「英雄」や「悲劇」として語られることは、ある意味当然だった。
特攻隊員自身が、ヒロイズム・英雄物語・悲劇といったロマン主義――特にドイツロマン主義――を重視していたからである。
これが後に、ナチスドイツ下のエルベ特攻隊にも繋がっていく。

〇遺書と遺書以外の著作

靖国神社の遊就館には、特攻隊員が家族に宛てた遺書が展示されているが、
そこには隊員が記した日記や、家族・友人に宛てた手紙等は無い。彼らの日記や手紙は、遺書よりもかなり内容が複雑である。
  • 大日本帝国や軍事主義、特攻隊への批判
  • 資本主義への不平不満
  • ドイツの文学、芸術、音楽、映画についての感想・称賛
  • レーニンなど共産主義者についての考察・批判・称賛
  • その他の様々な苦悩、絶望(特にキルケゴールの『死に至る病』を参照した上での「絶望」)
等が、ドイツ語・英語・フランス語混じりで記されている。

〇反資本主義(ロマン主義と社会主義)

ナチスドイツや大日本帝国が枢軸国として同盟したことには、様々な成立要因があるが、根底に反資本主義があることは広く似通っている。

+ 反資本主義の起源
もともと資本主義を大発展させたのは、18世紀末のブルジョア革命(フランス革命やアメリカ独立革命)だった。
ブルジョア革命 bourgeois revolution
市民革命ともいう。 … 封建制の残存物を一掃し、資本主義の発展を保障する政治的・社会的変革である。 …

社会・経済的には、それは、資本主義に適合的な社会を実現しようとする革命であるところから、経済外的強制の体系としての領主制と身分制の廃棄、商品所有者としての個人の法の前の平等と経済的自由の実現、自由な私的所有の確立などを、その基本的・一般的課題とする。 …
アメリカ独立革命とフランス革命がその典型的事例とされる。(『日本大百科全書(ニッポニカ)』)

要するに、ブルジョア革命は自由思想や左翼思想を土台に発生した、近代化の幕開けだった。革命以降は
  • 啓蒙主義(人権思想)
  • 資本主義(財産権、経済的自由権)
  • 合理主義
  • 科学
等が、相互に絡み合って発展し、世界中へ拡大していった。

ブルジョア革命並びに近代化とは、感情よりも合理を、伝統・保守よりも資本・革新を、王侯貴族よりもブルジョア(市民・商工業者)を優先していく現象だった。

無論、すべての人々や国がブルジョア革命の流れに追いつけた訳ではない。近代化(特に資本主義)に反抗して、18世紀末にはロマン主義、19世紀には社会主義が発展した。
これらの反近代的な思想・文化運動は、過去を懐古するにせよ未来を志向するにせよ、ドイツで特に盛んだった。後には枢軸国側となった諸国へ、強力な影響を及ぼした。

大日本帝国を含め世界各地で、ロマン主義と社会主義には重複する面があった。反近代・反資本主義という面で両者は共通していたし、意図的に融合されることもあったからである。
とりわけドイツでは、両者は国家の全体(全体主義)的な方針を決定付けた。多神教のゲルマン神話、民間伝承のグリム童話、民族音楽のワーグナー等あらゆるロマン的要素が蒐集され、ナチズム(国家社会主義)の成立に一役買うこととなったのである。

反資本主義が脈々と継承され、ナチズムとその同盟の中で、特攻隊は成立した。
大日本帝国が真珠湾攻撃以降に掲げたスローガンにも、

「心の米英撃滅」「利己的唯物的米英観念」

等と記されていた。要するに、物質的要素(資本主義・利己主義など)に囚われた連合国を、枢軸国が精神的要素(愛国主義・英雄的自己犠牲など)をもって打破するという観念であり、その観念を担わされた典型例は特攻だった。


〇犠牲と蘇生

特攻隊員たちは、特攻という自己犠牲攻撃によって戦死したり、または機器の不調で事故死した。
だが、ドイツの伝統主義やナチズム(国家社会主義)は、特攻隊員たちにも影響を及ぼしていた。
多くの特攻隊員は反資本主義や社会主義の思想を持っており、
死を精神的・神話的に捉え、死滅後の蘇生を自分や国家に当てはめる傾向もあった。
端的な例は、22歳で戦死した佐々木八郎である。

なお旧資本主義態制の遺物の所々に残存するのを見逃すことはできない。
急には払拭できぬほど根強いその力が戦敗を通じて叩きつぶされることでもあれば、
かえって或いは禍を転じて福とするものであるかも知れない。
フェニックスのように灰の中から立ち上がる新しいもの、我々は今それを求めている。 

特攻隊やその関係者は、死について"覚悟"や"御国のために死ぬ"という表現を多用していたが、彼らが言葉に込めた意味は、現代的な価値観での意味とは大分異なる。
特攻隊員たちは「フェニックス」や、滅亡からの「再生」「復活」といったテーゼをも多用していた。
これは特攻隊以外の学徒兵や、当時の知識層全体に共通する特徴だった。
特攻隊の「覚悟」や「死」は、大別すれば精神的には英雄的ロマン主義であり、社会経済的にはドイツ社会主義(マルクス主義)だった。
死によって大日本帝国も特攻隊員も臣民も再生し、より美しく精神的価値に満ちた存在となる・・・ということになっていた。
(同時に、キルケゴールの言う「絶望」も、特攻隊員たちが重視していた観念である。)

学徒兵で言えば、自称「唯心論者」の林尹夫が典型例と言えよう。
林尹夫は「死」や「絶望」を、ドイツ語でMaterialismus(物質主義・唯物論)やDunkelheit(闇・暗黒)と呼称していた。
彼が記した詩『日本帝国終末』では、大日本帝国は「すべての終末」「カタストローフ」によって「新たな生命」を吹き込まれることになっている。
要するに、絶望的戦いで一切が壊滅することにより、帝国は「新たな生命」――つまり唯心論や精神主義――を得る・・・という思想だった。

死亡した特攻隊員が「フェニックスのように」再生した事例など存在していないことは、言うまでもない。
林市造をはじめキリスト教徒の特攻隊員たちにも、イエス・キリストの復活のような奇跡は起こらなかった。
特攻隊員たちが吸血鬼やフランケンシュタインについてどう思っていたかは、調査する価値があるかもしれない。
ナチズム(国家社会主義)と共闘した大日本帝国も潰えたが、隊員たちが期待したような神的復活は起こらず、資本主義世界の一員「日本」として歩み出すに至った。

一応、靖国神社で特攻隊員が英霊として祀られていることは、隊員が(神道的・精神的な意味で)再生したということかもしれない。
とはいえ、神社で祀られることが彼らのドイツ流信条や信仰にどこまで合致しているかは、疑問の余地が残る。

〇死の崇拝(death cult)

先述にあるように、特攻の歴史には徳富蘇峰たちの「勝利の死」プロパガンダや、戦果ではなく「死ぬこと」を目的とする特攻指令等があった。
現代の国内外の研究では、特攻や自殺攻撃の思想は「死の崇拝」(death cult)と呼称される。
(これは、ディストピア小説『1984年』に登場するイデオロギー「死の崇拝」(Death-Worship)と酷似している。
学術用語と作品用語のどちらが先かは不明だが。)

関行男大尉や他の特攻隊員たちが、天皇や帝国のためというより、身近な人々のために特攻に赴いたのは確かだろう。
しかし、彼らの言う「死」や「覚悟」は、現代的価値観でのそれでは無い。
彼らにとって「覚悟」は、資本主義・物質主義への戦意を意味し、「死」とはフェニックス的な「再生」をも意味していた。

大日本帝国(さらには枢軸国)の価値観では、「死ぬこと」自体に多大な価値があった。
そして場合によっては、「死」は生命や国家を復活させる現象としても見られていた。
これは「俺達の犠牲で愛する家族が守れるなら……!」「家族と故郷を守るために、最後の手段に出る……!」というような、サブカルチャーによくある考え方ともかなり異なっている。

〇商人の資本主義 VS 英雄の反資本主義

枢軸国の歴史や政府発表では、現場の人々から指導層に至るまで「英雄」と称されていたことが多い。

ナチスドイツの幹部たちやアドルフ・ヒトラーも事情は似ている。
ヒトラーが自殺した時でさえ、「ヒトラーはベルリンで最後の勝利を信じて戦ってきたが英雄的な最後を遂げた」と伝えられた(外務大臣クロージクから東郷茂徳外相への伝言)。

究極の覚悟なくば、この戦いは敗れるであろう」と主張してヒトラーにエルベ特攻隊を認可させたハヨ・ヘルマンだが、ナチスドイツ降伏後には彼も降伏している。
しかしヘルマンは、枢軸国が「敗れ」たことを認めても、「英雄」たちの「覚悟」を相変わらず唱えていた。
敗戦後に弁護士となったヘルマンは、ナチズム(国家社会主義)を賞賛したり、ネオナチのホロコースト否定を支援したり、特攻隊を「英雄」として肯定したりしてきた。

ヘルマンやナチズム支持者のような人々は結果的に、現代の一般社会(資本主義社会)において、枢軸国・特攻・英雄等のイメージ悪化に拍車をかけている。
本人たちは、近代文明――資本主義や民主主義――の問題を指摘し超克するためだと主張してはいるが。

〇ジハード(努力・自爆テロ)への影響

特攻は、イスラム過激派等によるジハードへ影響したと考えられている。
(「ジハード」は「聖戦」と訳されたり「自爆テロ」と呼称されるが、原義は「努力」。)

神風戦術を採用したイスラム過激派の先駆者は、「神の党」(ヒズボラ)である。
大日本帝国では最高神が現人神(天皇)またはアマテラスで、イスラムでは最高神が唯一神アッラーという違いはあるが、神がかりな名前を称している点で、共感が働いたのかもしれない。
また、ナチスとイスラムは第二次世界大戦で同盟してもいた(「イスラムファシズム」とも呼ばれる)。
ナチズム(国家社会主義)はアラブへ輸入されアラブ社会主義となり、アラブ社会主義復興党は、サダムフセインのようなジハード支援者たちを生み出した。

尚、戦時下の特攻を「自爆テロ」と呼ばれたことに対し、元特攻隊員は「一緒にするな。(特攻では)非戦闘員は狙わない。」と憤慨したという。
しかしイスラム過激派は、テロではなく正当な戦争を行っており、異教徒や不信心者からの侵略に対して反撃している……といった認識を示している。
神の党は「イスラエルは核兵器や重兵器を所有しているかもしれないが、神から見ればクモの巣より脆い」とも述べている。

イスラム過激派によれば、非戦闘員とて西洋(イスラエル)の「陰謀」に操られた、物質主義者なのである。
そのような過激派の思考には、アラブ社会主義(と化したナチズム)も関与している。


【余談】

〇特攻に反対した指揮官

特攻に反対した指揮官も少なからず存在している。

特攻を指示する上層部を論破し、最後まで特攻を行わずに戦い続けた芙蓉部隊隊長の美濃部正少佐も部下に特攻をさせなかった人間として特筆すべきであろう。
ただし美濃部は特攻自体は肯定しており、あくまで「おれの部隊は特攻などに頼らずとも戦果を挙げられる」という自信が特攻反対を貫かせたことに留意されたし。
その美濃部も終戦間際には自隊からの特攻出撃を真剣に検討せざるを得ないところまで追いつめられている。

防空部隊である第343海軍航空隊にさえ、特攻に行けという話が出た。
だが、海軍で制空権確保に貢献できる航空隊が彼らしかいなくなっていたために立ち消えとなった。
彼らの有する紫電改を決戦兵器として認定したのも影響したとされる。
また当時の飛行長である志賀淑雄少佐が
「私が先頭で行きます。兵学校出は全て出しましょう。予備士官は出してはいけません。源田司令は最後に行ってください。
ただし条件として、命令してきた上級司令部参謀が最初に私と来るというなら343空はやります」と上申し、航空隊指令の源田実大佐もこれに同意。
軍令部にそれを伝えたとされている。

更に、第203海軍航空隊戦闘第303飛行隊長であった岡嶋清熊少佐も特攻には断固反対した。
彼は自分が非国民呼ばわりされても自らの部隊からは特攻隊を出さなかった。

指揮官では無いが当時の皇太子明仁、後の(平成の)天皇*1は「人口がアメリカの半分しかない日本が搭乗員戦死前提の攻撃をしていたら人的に磨り潰されるのでは?」と中学生ながらもド正論の突っ込みを入れた逸話が有る。


〇特攻に似た自殺攻撃等

また、特攻と言えば敵に対する攻撃だけかと思われがちだが、
友軍の艦船に迫る魚雷に機銃掃射の後魚雷に特攻した例(マリアナ沖海戦で空母・大鳳に向けて放たれた魚雷2発のうち1発が味方の特攻で阻止された)や、
攻撃態勢に入った敵航空機の爆撃を阻止する為の最終手段として特攻した例もある。味方を守る為の「特攻」も確かに存在した。
(しかし、これらの例は海外でもあったし、またこれは明確な命令をともなった手段(戦術)ではないため特攻というにはやや語弊がある)

その中には、飛燕や鍾馗、隼などの旧式戦闘機でB-29に特攻し、機体が爆発する前にパラシュートで離脱するのを何度も成功させた恐るべき猛者もいた。
(しかも部隊単位で戦果を上げた)

また冒頭に述べた通り陸軍も各地の陸戦において戦車特攻などを行っており、
満州で戦っていた部隊がソ連軍相手に歩兵特攻(所謂「肉弾攻撃」)を行った記録も残っている。
爆薬を抱えて(主に戦車に)突撃し自爆するというものである。
こちらも砲兵・航空機の支援を失い、補給もままならない状況下で敵の進軍を食い止めるために実行された苦肉の策であった。
捕虜になったソ連兵は「我々には真似できない」と語ったというが、実際にはソ連軍も種々の自殺攻撃を多用していた。


〇カミカゼとシンプウ

なお、カミカゼと言われるのは単なる読み間違いが広まったと言われることがあるが、
軍歌に『かみかぜとっこうたい』という歌があるので、それが一般化したとも考えられる。つまり、どっちでも正しいとも言える。

ちなみに本来の神風(シンプウ)とは鎌倉時代、日本に元が攻めて来た時の神がかったタイミングで襲来したと言われる二度の台風である。
尚、最近の研究ではこれは奇跡でも何でもなく、ただただ純粋に鎌倉武士たちが知恵を絞った結果としての、
夏季には必ず台風が来る、元軍は海戦に不慣れだから、この時期まで粘れば確実に勝てるという戦略だったと判明している。

結局は軍事学などの諸研究から見れば、奇跡に拠る神がかり的な勝利も蘇生もありえない。
何らかの奇跡的な要素が戦局を左右することはあるにせよ、それに頼って戦うようではオペレーションズ・リサーチ(OR)としても、数学的戦略(「ゲーム理論」等)としても破綻している。


〇駆逐艦「神風」

第二次世界大戦期に「神風」という駆逐艦も存在した。読みは「カミカゼ」である。
いわゆる艦隊随伴型の特型の二世代前の、旧式も旧式であった駆逐艦だったが、
開戦から哨戒・護衛に従事し、太平洋戦争最後の海戦であるペナン沖海戦をくぐり抜け、敗戦まで無傷で生き残り、復員作業にも従事。
戦没することなく生き残った数少ない駆逐艦の一隻だった。
しかしやはりと言うべきか、特攻隊員の願ったような蘇生・再誕は起こらず、戦後に座礁・解体された。

ちなみに2016年5月には艦隊これくしょん -艦これ-にも実装されている。

〇特攻する文系と生き残る理系

熱烈に「近代の超克」や資本主義超克を主張していた特攻隊員と言えど、常に葛藤無く特攻や帝国を肯定していた訳ではない。
彼らが特攻・帝国について記した批判や非難は著しい分量に及ぶ。
ここでは端的な一例として、佐々木がゲーテの文学作品をもじって遺した文章を引用する。

Zwei Seelen wohnen Ach〔auch〕 in Mein Herz!!(ああ、我が心に宿る二つの魂!!) … 
主計や軍令部付になるのは優秀な成績の者だと言われたり、才能もない輩が技術、医務課の用のために
安全な所に残って、しかもチヤホヤされるのを見たりすると、我々の如きは彼等の以て名目とする
“国家”のために最も危険な所に置かれるのであると思い、かつて労働者が資本家に搾取されるとして
労働を厭うた如き気分に陥ることもあるのである。そして自分に航空適性があるといって張り切る如きは
全く馬鹿の骨頂だ、うまく二乙、三乙に逃れ、主計、技術、医務等に残って
身を全うする者こそ本当に利口なんだ、そう思うこともあるのである。

佐々木のような特攻隊員たちは、”資本家”と、”特攻を命じる上層部”とを、同種の存在と認識してもいた。資本主義者による「搾取」から逃れるには、理数系能力を活かすべきだという訳である。
なお、戦時中に医学生だった山田風太郎は、自らを「数学的白痴」と称している。日本の敗戦については「最大の敗因は科学であり、さらに科学的教育の不手際であった」と記した(後に小説家となった)。


〇カミカゼドローン

21世紀になって新たに登場した所謂「徘徊型兵器」がこの名称で呼ばれることがある。
徘徊型兵器とは、事前に目標を設定せず発進し指定地域上空を滞空、目標を発見すると自爆攻撃を仕掛ける無人攻撃システムである。
自爆攻撃を仕掛ける為のプロセスには人が攻撃指示を出すものと自動攻撃をするものがあるが、後者はその自律性からくる倫理的問題が懸念されている。
いかにも飛行機然とした飛翔体がまるで意思を持っているが如く自動で攻撃を仕掛ける様がカミカゼという名の由来…かはわからないが、少なくともそれらは現状人ほど自律しているわけではなく、事前にプログラムされた内容に従っているだけであり、ミサイルの新たな運用形態という範疇を超えるものでは無い、と言える。


〇カクテル

カミカゼという名前のカクテルが存在する。
名前に反して(むしろだからこそ?)その発祥はアメリカ。アメリカ占領時代の横須賀基地という説もある。
ウォッカ、ホワイトキュラソー、ライムジュースのカクテルで、「カミカゼの如き鋭い味わい」という意味で命名されたという。


〇誤字

稀にだが「」と誤字されることがある。
「特高」?もっと違う。
上述したように、『殊な兵器を用いて行われる撃』なので、特攻なのであり、
「特効薬」や「ドラゴン属性特効」のように『に顕著な能・効果』を表すのが特効である。

〇ゲームにおける神風

航空隊の任務の一つとして「カミカゼ」が存在している。
任務としては艦船への攻撃の一種であり、航空機が失われる代わりに通常攻撃の20倍という異常な威力を叩きつける。
なお失われるのは航空機だけで人的資源は一切消費せずエースパイロットも死なない
日本だけでなくソ連と汎用国家も条件を満たせば使用可能だが、日本のみ「特別攻撃機」(いわゆる桜花)というカミカゼ専用機が運用可能。乗ってる人間が死なないのでプレイヤーからは短距離ミサイル扱いされている
現在はアップデートで修正されたが、かつては艦載機にカミカゼ指定しておくと艦隊戦前にカミカゼを行って大打撃を与えられたため、
カミカゼ艦載機を満載したカミカゼ空母なるものも存在した。

  • Rule the Waves3
建艦競争&海戦ストラテジーのRtW3では日本の固有能力「Kamikaze attacks」として登場。
ファシスト政権かつ劣勢になると解禁されてしまう攻撃。
最大の特徴は条件を満たしていると勝手にkamikazeしてしまうという点。
日本プレイならあえて狙わない限りあまり見ることはないが、戦略に組み込めるほど強いわけでもないのでやはり避けたいところではある。


フェニックスのように追記・修正の中から立ち上がる新しいもの、我々は今それを求めている。

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最終更新:2024年03月04日 12:40

*1 現上皇