姑獲鳥の夏(小説)

登録日:2011/04/30(土) 03:38:47
更新日:2024/04/14 Sun 22:53:29
所要時間:約 7 分で読めます




「この世には不思議なことなどなにも無いのだよ、関口君」





うぶめの事……。
産の上にて身まかりたし女、其の執心、此のものとなれり。
其のかたち、腰より下は血にそみて、其の声、をばれう、をばれうと鳴くと申しならはせり。




姑獲鳥(うぶめ)(なつ)


京極夏彦の小説作品。
氏の処女作品にして、後に『妖怪シリーズ』と呼ばれる、同一世界観による作品群の起点、核となった作品。
キャッチコピーは、
「ミステリー・ルネッサンス」
94年に「講談社ノベルズ」から発売された後、現在は文庫版や朗読版が存在する。
映画化作品も存在するが、ここでは原典の小説版のみの解説を記す。


【概要】


昭和二十七年の初夏……。
小説家・関口巽は学生時代からの友人である古書肆「京極堂」の主人・中禅寺秋彦に「二十箇月も妊娠し続ける妊婦」の話を持ち込む事から物語は始まる……。

「ミステリー」の新ジャンルと持て囃されながらも、作者自らが「ミステリー」では無いと語る(※作者は妖怪を解体し、読者の眼前に出現させる物語と語っている)、
『妖怪シリーズ』第一作。
「民俗学」や「不確定性原理」「心理学」……そして、何よりも「姑獲鳥」の考察を以て語られる、雑司ヶ谷の久遠寺医院に纏わる忌まわしい噂……
「青年医師の失踪」「身籠もり続ける娘」「消えた赤子」の物語に光を導き出す。

……計らずも、記憶の底の暗闇に封印していた久遠寺医院に纏わる因縁を“思い出した”関口巽は、
京極堂や榎木津、木場修太郎ら知己の者達の力を借りて、その「女」……。
久遠寺涼子の為に事件の真相を探ろうとするが……。






【事件関係者】


  • 久遠寺涼子
「私を……助けてください」
二十代後半位。
本作のヒロイン。
久遠寺医院の長女で、事件の依頼人。
関口と並ぶ、本作の最重要登場人物。
モノクロームの女と形容される、美しくも儚げな女性。
関口が彼女との出会いに自分を見失ったのと同様に、彼女もまた停滞していた時間が動く。

  • 久遠寺梗子
「でも、それでは私は…何と愚かな……」
涼子の一つ違いの妹。
久遠寺医院の次女。
姉の涼子と似た容姿ながら、涼子とは違い健康で活発な女性……であったが、夫である牧朗の失踪後、精神の衰弱に陥る。
そして「二十箇月の妊娠」と云う異常な事態の中、体力を磨り減らしつつも最愛の夫の帰りを待ち続けている。

  • 内藤赳夫
「犬も食わないというやつでね」
久遠寺医院の医師見習い。
ある複雑な事情の下に生まれ、複雑な事情で育ち、複雑な事情で医院に迎えられ、複雑な事情で屈折した男。
長身で精悍な顔つきをした青年らしいが、荒んだ生活が影を落としている。
卑屈で弱い。
榎木津をして唾吐すべき人間と評しており、最後は中禅寺に「呪い」を掛けられる事になる。

  • 久遠寺嘉親
「儂ゃあそうは思わん」
久遠寺医院の院長で、涼子と梗子の父親。
禿げ上がった額の赤ら顔の人物。
……後に「鉄鼠の檻」にも登場。

  • 久遠寺菊乃
「かあさんを許しておくれ」
久遠寺家の「母」
武家の妻女を思わせる毅然とした女性。
久遠寺家は代々女系で、嘉親も牧朗同様に入婿。
若い時分には涼子や梗子に似た美女であった……。
久遠寺家の歪みを象徴する人物。

  • 久遠寺牧朗
「母様」
失踪した青年医師で、久遠寺家に入婿として入った梗子の夫。
旧姓は藤野で、榎木津の同窓で関口、中禅寺の先輩だった。
榎木津の付けた通称は藤牧。
十五年前から続く因縁を呼び込んだ存在にして、その被害者。


【主要登場人物】


「そんな、そんな儚い、私は……」
小説家。
本作の語り部で、事実上の主役。
年齢は三十代前半。
かつては粘菌の研究をしていたが、結婚を機に「伝」を頼りに文筆家となった。
学生時代には鬱病を患っており、その時代に得た心理学の知識を持つ。
小柄で猿顔、自らに自信を持てない人物と描写される。
久遠寺涼子との出会いに、熱に浮かされた様に久遠寺医院の事件にのめり込む。

「鼠ばかりですねえ。ネズミだ」
探偵。
旧華族転じて大財閥・榎木津幹麿元子爵の次男坊。
関口と中禅寺の学生時代の一級先輩で、失踪した久遠寺牧朗とは同級だった。
非常な長身。
西洋磁器人形を思わせる端正な容姿に、薄い色素の日本人離れした容姿と、後に「既存の概念を悉く破壊する」と讃えられた強烈な個性の持ち主。
彼の探偵事務所「薔薇十字探偵社」の名称は京極堂の読んでいた本から適当に決められた。
視力は無いが、人の記憶が視える。

  • 中禅寺敦子
「ひと言多いわ。兄さん」
「京極堂」こと、中禅寺秋彦の歳の離れた妹。
怪異を科学する「稀譚月報」誌の記者。
年齢は二十と少し位。
溌剌とした少年の様な見た目の美少女。

「ふん。山から鬼が下りて来たぜ」
東京都警視庁刑事。
職業軍人上がりの四角い男(見た目)で、学徒出陣した関口の部隊では片腕として彼を支えた。
石屋の倅ながら、何故か華族の榎木津とも幼馴染みで、現在では彼らとは気心の知れた友人となっている。
通称は「木場の旦那」。
久遠寺医院で起きた「赤子の消失事件」の依頼が取り下げられ、内心忸怩たる想いを抱いていた所に、関口らの話を聞き再び捜査に乗り出す。
豪快な見た目に反し頭が回り、学が無いと言いながら細やかな神経も持つ人物で甲高い声で喋る。

  • 青木文蔵
木場の部下。
特攻崩れの若い刑事。
今作では下の名前すら設定されていないが、後のシリーズでは主役を務めるまでになる。

  • 木下圀治
青木と同じく木場の部下。

  • 里村紘市
「鼠の屍蝋があるの?見たいなあ。」
嘱託監察医。
木場は勿論の事、中禅寺らとも懇意の存在。
……ややエキセントリック。

「この世には不思議な事など何も無いのだよ、関口君」
通称「京極堂」
古書肆にして神主、そして“憑物落とし”の拝み屋。
「京極堂」とは二年前(関口が作家になったのも同じ頃)に職を辞した彼が自宅を改装して開いた古本屋の店名なのだが、
関口ら古くからの友人も今では彼をこの仇名で読んでいる。
痩せぎすで仏頂面の理屈屋、皮肉好きの詭弁家で、暇があれば本を読み、且つその内容を詳細に記憶していると云う本馬鹿(書痴)。
特に古今東西の宗教や呪い、化物の話を好む。
所謂「名探偵」の位置付けにあるキャラクターである事から主役と取られがちだが、実際には狂言回しと言った方が良く、
物語の登場人物と読者に取り憑いた形の無いモノに妖怪と云うカタチを与え、祓う事を役目とする。
……それ故に後のシリーズでは意図的に出番が減らされてもいるが、
以前の同シリーズが『京極堂シリーズ』と呼ばれていた事からも解る様に同シリーズの象徴とも呼ぶべきキャラクターである。
項目の最初にも掲げた上記の台詞は、同シリーズの柱となっているが=「精神文明の否定」「科学文明の礼賛」では無い。


【余談】

  • 本作の刊行経緯
既存のミステリ作品と比べて型破りの作風であった本作だが、世に出るきっかけもまた前代未聞であった。
そもそもこの作品、当時デザイン会社でアートディレクターをしていた京極氏がバブル崩壊で仕事が減り、
「仕事はすぐ終わるけど、みんな残業してる中で帰るのもなぁ」と残業のフリをしながら暇潰しに書き上げた代物。
作品自体は1年ほどで完成させたものの当初は身内や職場で見せるだけに留まっていたのだが、
GWだというのに外出する資金もなく、直に子供も産まれるという事で急遽講談社へ作品原稿を直接郵送することにした。
京極氏本人としては「偏屈な編集に「こんなもの誰でも書けるわ!」って言われそうだな」ぐらいのノリだったのだが、勿論突如としてこんな作品が送られてきた講談社は困惑した。
後の作品よりマシだが各種新人賞の募集要項を余裕でオーバーする文章量、それでいて強烈な独自性と完成度の高さ故に無下にもできず「これ、有名作家が別名義で送ってきたんじゃないの?」と疑心暗鬼にすらなったという。
そして郵送から数日後、京極氏は本作の書籍化の通知を受け取り小説家としてデビューしたのであった。

ちなみに後日談として、デビューが決まった京極氏が編集と「小説一本で食べれるほど世の中甘くないから軽率に退職しないように」「そりゃそうだ」と事前に打ち合わせしたはいいが、会社側からあっさりリストラを食らって大慌てしたとか……。

  • 本作が与えた影響
京極夏彦の衝撃的な持ち込みを受け「こんな奴が応募もせず隠れていたとは」と感じた講談社は物は試しと、二匹目のドジョウ狙いで「メフィスト」誌上で原稿を募集してみたところ、小説業に縁のなさそうなたデザイナーに引き続き、今度は現役の大学助教授が個性的な作品を持ち込んできた。
趣味代の為に投稿してみたと後に語ったその人物の名は森博嗣、持ち込まれた作品がかの『すべてがFになる』(原題:『冷たい密室と博士たち』)であった。
森氏のデビューに箔を付けるために、原稿募集そのものを正式に新人賞として設立し、森氏を第1回受賞者、全ての発端である京極氏を第0回受賞者とした。
その賞こそ 『コズミック 世紀末探偵神話』(清涼院流水)、 『六枚のとんかつ』(蘇部健一)を先鋒とする奇々怪々な受賞作に定評があり、なおかつ西尾維新・辻村深月・舞城王太郎などの名だたる面子を輩出したメフィスト賞である。

以上のように後世への影響が極めて大きく、仮に姑獲鳥の夏が世に出る事が無かったら、小説界隈に留まらず日本のアニメ・漫画の構図が大きく異なっていたかもしれない……




追記、修正せんとする者に、
薔薇と十字の祝福のあらん事を……







※以下に、若干のネタバレ。






「なあ京極堂。あのとき※※さんは姑獲鳥(コカクチョウ)からうぶめになったんだよ」


「だから、姑獲鳥(コカクチョウ)もうぶめもおんなじなんだ」


「姑獲鳥(うぶめ)の……夏だ」















そして私は、坂のたぶん七分目あたりで、
大きく息を吐いた。

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最終更新:2024年04月14日 22:53
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