附属池田小事件

登録日:2012/04/17(火) 17:45:46
更新日:2024/04/15 Mon 15:30:26
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※この項目では実際に起こった無差別殺傷事件を取り扱っています。閲覧にはご注意ください。







附属池田小事件とは、2001年6月8日に大阪府池田市の大阪教育大学附属池田小学校で発生した無差別殺傷事件である。
本事件の犯人・宅間 守(たくま まもる)は小学校にて合計23人もの児童と教職員を殺傷した実行犯で、この事件は日本犯罪史上でも最悪と呼ばれている
後に宅間は逮捕され、死刑判決を受けた後に2004年9月14日に刑が執行された。


■事件の概要

2001年6月8日、宅間は池田小学校に侵入。
犯行前には体育館東側地区にて宅間の姿が目撃されていたが、父兄だと思った教職員は会釈すらしていた。

まず、2年南組に入った宅間は、教室に残っていた児童5人を持っていた出刃包丁で無言で刺殺。
続いて東組に入り、そこでも4人の子供を襲い、止めようとした男性教諭にも重傷を負わせた。

そして再び南組に入り、黒板の近くにいた4人の児童を切りつけ、ここでようやく到着した校長と副校長により取り押さえられた。
警察に通報したのは近所のスーパーに逃げ込んだ少年だったという。

襲われた児童にとっての悪夢のような時間はそこで終わり、宅間は逮捕された。


■公判

裁判では度々「責任能力の有無」が問われたが、多少の疾患は認められたものの、最終的には「責任能力は十分にあり」との判断が成された。
そして、その疾患もいくつかは詐症であったという。


■宅間の生い立ち

宅間は1963年、池田市の西隣、伊丹市で生まれた。父と母、上には7歳違いの兄がいた。

幼い頃の彼はいたずら小僧を通り越したかなりの悪ガキで、3歳の時には三輪車で国道の中央を走って渋滞を引き起こしていた。*1

さらに、気にくわない事があったりするとすぐに暴力を振るったり、
気の弱い子や体の不自由な子、小さな女の子をいじめるなど、弱者に対して残虐性を示す性質をこの頃から見せており、同級生の友達はいなかったと言う。
その上、猫などの動物を新聞紙に包んで火をつけて焼き殺したり、拾った仔猫を浴槽に沈めて溺死させたりもしていた。

また、変にエリート嗜好があったらしく「俺はIQが高い」「いつかは自衛隊に入ってパイロットになる」などとのたまい、更に小6の頃、附属池田中学校の入試を希望するが、模試が奮わず断念したという。
ちなみに成績は中の下ほどだった。

その後、地元中学を卒業後、尼崎の工業高校に進学*2。しかしここでは同級生の少女に乱暴するなどして退学となり、卒業後はパイロットを目指して航空自衛隊に入るが、ここでも下宿先に家出少女を連れ込んで除隊させられ、その後は父の金で運送屋を開いたりしたがいずれも長続きせずに失敗したという。

この頃から、度々精神が不安定になり、心療内科に通うなどしていたという。
さらには傷害や暴行を行ったり高速道路の逆走などの非行に走るようになっていった。
また、この時期には主に婦女暴行の罪で少年院や刑務所にも出入りしていた。

精神的に疲弊していたためか家族に対してもより暴力的になっており、兄が真面目に働いて貯金し、購入した新車を角材でボコボコにするなどした。
それらの暴力や数々の犯罪に心を痛めた母親は後に精神異常を引き起こして入院し、兄は自殺している。

運送屋の失敗の後は当時の妻の紹介もあり大阪市役所の非常勤職員として、バスの運転手や学校の用務員などをやっていたが、
後部座席の女性に「香水の匂いがきついから席を移って」と言ったり、ホテルのベルボーイに口論の末暴力を振るったり、勤務先の学校の子供に罵声を浴びせたりと、かなり勤務態度に問題があったようだ。

また、彼はねるとんパーティが大好きで4人もの女性と結婚をしている(内一人は19歳年上の小学校時代の恩師)が、いずれも暴力により離婚している。

そして、最後に就職したトラック運転手の仕事も、信号待ちをしていた時に並んでいた車の女性に「目が合った」と因縁をつけ唾を吐きかけ退職させられた。

それらのトラブルを自分のせいとは思わず*3、周囲が自分を許容してくれないからだと世間を逆恨みした宅間は、腹いせと復讐のために大量殺人を思いついてしまった。

…自分がかつて憧れ妬んでいた名門校を標的として。


■死刑判決後

冒頭のような死刑判決後、彼は、死刑制度反対を訴えるグループ「アムネスティ・インターナショナル」の活動に参加していた1人の女性と手紙をやりとりし、その末に獄中結婚を果たす。
度々騒ぎを起こしていた彼だが、面会に来た妻にだけは心を開き、穏やかな顔を見せていたという。

なお、女性に迷惑がかからないようにと、妻は元々の姓を名乗り、宅間も妻の姓を名乗っていた。

そして、刑確定から1年足らずで、宅間の死刑は執行された。
最後の言葉は、「僕がありがとうと言っていたと妻に伝えてください」だった。
その死に際して、妻だけが涙していたという。執行人は、「人間らしい最後でした」と述べている。
宅間が遺族に謝罪する事は遂になかった。

どの道死刑になるのならば、最低限人の心を取り戻し、自分の罪に苦しんだ上で死刑になるべきだっただろう。
宅間が最後にその境地に至ることができたのか、本当のところは残念ながら分からない。
ただ、犯罪者を守ろうとするなんて許せないという安い正義感で関係者を責め立てることは厳に慎むべきである。
誰からも見放されている人物に、そんな心境の変化なんて起こるはずはないのだから…


■宅間の家系

宅間の先祖は旧薩摩藩の下級武士であり、彼の家系では事件前まで代々誇りにしていた。
また、宅間家の男子にもその誇りが代々受け継がれ、法律や警察に関係する仕事をする人が多かったそうだ。

だが、宅間の父親は酒に溺れて家族全員に対し暴力を振るっており、宅間もまた父親の暴力を受けていた。
さらに宅間の母親も守を妊娠していた際、妊娠を喜ぶ父とは対照的に「アカンわこれ、堕ろしたい」と言い、家事を父親に押し付けたり、母乳を与えることも嫌がるなど、息子への愛情を全く注がず、そればかりか宅間が中学を受験する際に「お前なんか産まれてこなければ良かった」と罵詈雑言を浴びせたという。
このせいか、宅間は後に救いようのない悪人へと育ち、両親の不安は最悪の形で現実のものとなってしまった。

その後母親は精神病院に長きに渡って入院生活をして2016年末に逝去し、父親はボロボロの実家に生涯住み続けた末に2020年4月に死去。
家系は宅間の悪行によって断絶することとなった。実家も2020年9月に取り壊されている。

父親は「『誰にも迷惑を掛けない』というのは、大きな私のテーマでもありました」と語っていたが、当の宅間は生涯にわたってその真逆を突っ走ってしまったのは皮肉にして悔恨と言う他ない。


■事件のその後

事件後、精神疾患を持った者に対しての責任能力の言及や犯罪経験者の出所後の監察などがかなり改められた。

また、全国の小中学校において、部外者の校舎への侵入がかなり警戒されるようになり、セキュリティの見直しが成された。
具体的には授業中は校門を閉鎖・施錠し、来校者は校門に設置されたインターホンで事務室または職員室にいる教職員に来訪の目的を伝え、本人確認を行ってからでないと入れないようにするなど。
たとえ部外者であっても校舎に入ってしまえば教職員からは父兄と見分けが付きにくいため、
簡単に部外者でも校舎に入れてしまうそれまでの環境にはやはり問題があったと言わざるを得ない。


■余談
裁判中の発言を表すものとして以下の文章がある。
本項目の公判部分にも(少なくとも2016年から)コピペされていた。これだけの大事件な上に遺族がいる場でこんなこと言ってたら全部言い終わる前に傍聴者共々退廷させられそうなものだが…しかし、この原型と思われる文章が判決当日の2003年8月28日、判決が言い渡される前の午前8時24分に予想という形で残っている。
334 :予想。:03/08/28 08:24 ID:exNxQd68
裁判長「判決の前に、被告は何か言いたい事はありますか?」

宅間「えー、発言してもよろしいか?・・・なら話すわ。まあ、まだ判決はでとらんのやけども、もうすぐ出るし、わかっとる事やから、最初に言うとく。
 どうも死刑にしてくれて、ありがとう裁判長さん。感謝するわ!
 わし、死にたい思うてたから、ほんま助かる。やっと死ねるんやなーと思うとほっとしたわ」

  ・・・どよめく室内。怒号が飛び交う・・・

裁判長「静粛に!・・・被告は裁判を誹謗しないよにしてください。これ以上、不穏当な発言を続ければ退廷させます。いいですね」

宅間「今のは、誹謗とか批判ではのうて、純粋のワシの心から出た ほんまの気持ち。わかってもらわんでもええ。
 言いたい事はまだある。それは、殺してしもーた子供達にや!」

  ・・・どよめく室内。まさか?謝罪するのか?との期待感・・・

宅間「わしが殺したガキどもは、わしの自殺の為の踏み台の為に生きていたんやな!ほんま、感謝しとる。あのガキが8人死んでくれたから、俺が死ねるんやから
 感謝せなあかん!死んでくれてありがとう!!でも、死刑になるだけやったら3人で十分やったな。残りの5人はおまけで感謝しといたる!」

  ・・・どよめく室内。裁判長が退廷を命じる・・・

宅間(引きづられなから) 「おい、くそガキの親!おまえらのガキの8人分の命はワシ一人を殺して終わりの程度の
 価値やったんやぞ!エエ学校に行かせて偉そうにしとったから死んだんや!
 ガキどもが死んだ原因はおまえらあるんや!せいぜい一生反省せいよ!
 あの世でもおまえらの子供しばき倒したるからな!あははははは!あははは!こらおもろい!」

  ・・・どよめく室内。退廷・・・

5分ほど後に、判決文が読まれた。

349 :名無しさん@4周年:03/08/28 08:30 ID:exNxQd68
 >>343
今までの彼の発言の傾向と爆発力と、被害者に精神的ダメージを
与える事を喜んでいる事、それと死刑判決は聞いてやらないやめに
絶対退廷させられる発言にしてみました。

彼はあるいみ天才ですから、こんなものでは済まないかもしれませんが・・・
引用先:https://news2.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/106201469
仮にこれが判決後かつ傍聴者によるものだったとして記憶、またはメモするのは困難であろう文章量や怒号が飛び交っても傍聴者を退廷させない裁判長など不自然な点があるため、当時の記録としても不適当だと考えられる。

追記・修正はせめてこの事件を教訓とし、犯罪が抑止される事を願いつつお願いします。

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最終更新:2024年04月15日 15:30

*1 一応、良く言えば元気で活発な少年であり頭も良かったらしく、近隣の人々からの評判は割りと上々だった様子。

*2 この時の同級生に、ダウンタウン松本人志がいる

*3 事件後、父親は宅間のことを「物事が上手くいかないと全て人のせいにする人間」と称している。